土橋泰子 著『ビルマ万華鏡』
連合出版 09.9.5刊 四六判 304頁 本体2200円
ビルマ(ミャンマー)は、現在、軍事独裁政権下にあって、民衆が圧制に対して苦闘せざるをえない情況を呈している国のひとつだ。そのことを、誰もが認知しているにもかかわらず、ビルマの人々の暮し、民俗、文化、歴史といったことは、詳細には知られていないように思われる。国名に関していえば、89年に軍事政権が、ビルマからミャンマーに変えたことで、わたしたちはミャンマーという呼称はあえて使わず、ビルマとすることを良しとしてきたといえる。だが、そもそもビルマは、日本語読みなのだ。
「ミャンマーという国名は、(略)正式な国名で、いわば文語体的呼称です。(略)口語体で自国を呼ぶ時は、バマーといっていたのです。一九世紀、英国がミャンマーを植民地にした時、その口語体バマーが、『バーマ』(Burma)と発音され、それがヨーロッパ経由で日本に伝わって『ビルマ』になったというわけです。(略)国名をそっくり変えたわけではありません。日本が世界に向かってわが国をジャパンと呼ばず、ニッポンと呼んで下さいといっているようなものです。(略)イギリスとかインドとかいう呼称も日本人だけの呼称ですから、日本式にビルマといっても別に構わないというのが私の立場です。ミャンマーと呼べば現政権支持、ビルマなら現政権非支持という考えの方も居られるようですが、私の場合、そのような政治的意味はないことを予めおことわりしておきます。」(本書「まえがき」)
著者のこの率直ないい方によって、ミャンマーという呼称に対する偏見が払拭されることになるはずだ。わたしたちはどうしても、他国の内情を表層的な位相で、捉えがちになる。それは、政治的な枠組みを重視するあまり、その国で生活する人々の実相にフィルターをかけてしまうからだ。
本書では、アウン・サー・スー・チイのことに触れている箇所はわずか数行だけだ。だからといって、わたしは本書を読み終えて、なんの不満も抱くことはなかった。著者は、本書のことを歴史書でも、政治的なメッセージを織り込んだ書でもないし、ましてや、観光案内の書でもないといい、「いろいろの角度から眺めた断面のいくつかを」見てほしくて書いたと述べている。
著者が大阪外国語大学ビルマ語学科在学中の57年から一年間、ビルマ政府招聘留学生としてラングーン大学文学部に留学した体験を起点にして、本書は、ビルマの民俗、文化、暮しのかたち、多様な民族の有り様について、まさしく万華鏡のようにいくつもの断面を見せてくれている。
そして、なによりも、著者が開いて見せてくれたのは、ビルマの人々の心のうちの在り処だ。まだ、戦後十数年しか経っていない時に、日本軍が苛烈な戦場にしたビルマに来て、著者は、次のように捉えている。
「フィリピンやインドネシアは太平洋戦争の傷跡が大きかったため対日感情も悪いと言われ、ビルマはこれに対して対日感情が良いといわれていたのです。(略)ビルマ人特有のやさしさ、異邦人へのもてなし心が、日本人には対日感情よしと映ったかもしれません。(略)私には、戦争を通してのビルマの対日感情そのものは、フィリピンなどと変わりないように思えるのです。ただその表わし方が違うだけだったのではないかと思います。/一般にビルマ人は大変誇り高く、またデリケートな心をもっています。戦争中日本人にひどい目に遭った人は決して少なくないはずですが、その恨みをまともにぶつけるのははしたない、仏陀の教えに合わない、どうせ因果がめぐるのだから直接恨みを言ったり、復讐する必要はない。現に日本は敗けたではないか。まァ、今後のやり方をゆっくり見せてもらおう、といった所が本音ではないかと思われます。」
伝統的に仏教を信仰するビルマの人々だからこその、感受の有り様なのだといえるかもしれない。それに加えて、多くの少数民族がいて、地理的な要件からも、独特の山岳信仰的なものが、人々の心のうちをかたちづくってきたからだともいえそうな気がする。
最後に、わたしが、個人的に関心が惹かれたことを付記しておきたい。ビルマ国内に百以上もあるといわれる少数民族のなかのモン族についてである。かつてビルマでモン王朝を成立させたほど、「ビルマにとって重要な民族」ということだが、最近見た映画のなかで、モン族が重要なモチーフとなっていた。クリント・イーストウッドの『グラン・トリノ』である。アメリカはベトナム戦争時、ラオスにいたモン族を米軍の諜報活動に協力させていた。モン族の戦死者は二十万人以上といわれている。戦争終結後、左派政権による弾圧を逃れてタイ国境などへ多くの難民が発生した。アメリカは、道義的責任からモン族難民およそ十万人の移住を引き受けたのだ。その後、在米モン族がどんな生活を送っていたのかは、ほとんど知らされてこなかったのだが、この映画では、モン族の暮らし方の「断面」を何のけれんものなく描いている。
長く、自らの伝統をアイデンティティとする少数民族の暮らし方、生き方にこそ、わたしたちの生き方を照らしてくれるものが内在しているとわたしは考える。本書の著者もまた、そのような視線で、ビルマの人々のことを捉えていることに、率直に共感したいと思う。
(「図書新聞」09.11.28号)

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