本日、更新2回目
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小泉容疑者の父、「私の命をささげたいくらい」と謝罪
「元厚生次官宅襲撃事件で、銃刀法違反容疑で逮捕された小泉毅容疑者(46)の父親(77)は23日、山口県柳井市内の自宅で、『テレビの速報を見て、別人であってほしいと思っていた。まさかわが子がこんなことをするなんて……』とショックを受けた様子だった。父親は『息子には自分で腹を切れ、のうのうと生きているなと言ってやりたい。遺族に対しては、何とも申し上げようがない。私の命をささげたいくらいです』と肩を落としていた」(11/23付・読売新聞)
「息子には自分で腹を切れ、のうのうと生きているなと言ってやりたい。遺族に対しては、何とも申し上げようがない。私の命をささげたいくらいです」
こう語った容疑者の父。コメントの内容は立派である。ただ、これだけは言っておく。この「容疑者の父」は、容疑者の刑が確定した後にそれを言うべきだった。今の時点で父親が息子の容疑を認め、「のうのうと生きているな」という発言を公表するというのは、父親として失格ではないか。
「犯人」となるのは、逮捕された時点でも、起訴された時点でもない。最高裁判所まで量刑を争うことになったとしたら、地裁や高裁の判決が出た時点でもない。最高裁の判決が下り、それが確定した時点で、ようやく「犯人」となるのである。
私が「容疑者の父」となったら、刑が確定するまで自分の息子を信じる。もしも、刑が確定しても息子が「僕はやっていない」と言ったら、私は裁判よりも自分の息子を信じる。それが親である。それが家族だ。親が子供を信じられないなら、もう子供の居場所はどこにもない。