今日、思った。
仲間は結局その時の仲間でしかない。
仲間は自分の将来を確定させやしない。死にたいと思うほど絶望的な状況に陥った時必ずしも助けてくれるわけじゃない。結局なところやるのは自分。「友達と一緒に」なんて考えていたらいずれ友人の行動に絶望するでしょうね。
人はどうあれ人。何をするか分からない。
例えば犯罪で誰かにそそのかされて共犯となってしまった場合。勿論起こそうとした主犯格がいるだろうからその人物がより罪は大きくなるだろうが、共犯の人物も罪を犯したと言う事では同じ。
社会的信用は激減。就職口は元々狭かったものがさらに狭くなる。
ただついていって見てるだけでも十分犯罪でしょうね。こういう場合道連れにするのが人間でしょうし。
全く、
腐った人間関係。
むしろ人間の精神か。
世の中といっても、世の中というのは元をたどれば人間のことですし。
所詮、集団で生活する人間はより多大な集団にすがって、少数派をけなすわけですね。
結局は強い物にすがっていけない弱肉強食を人間が続けているわけですよ。
獣とやっていることは同じわけです。つまり、人類が誕生してから一万年以上たった今でも人類は野獣の本能を剥き出しにして日々生活しているわけですよ。
要は、
地球など巨大な動物園に等しい、と。
動物園の動物たちの生きる意味は何か。客が金払って見にくるからただ檻の中で生活するだけの動物に生きる意味などありましょうか。人間としては保護だとか繁殖の意味がその動物達にはあるだろうが、動物たち自身としては飯くって寝て、飯くって寝て。死が訪れるまで自分がそこにいる理由も分からずただ死を待つのでしょう。
それと同じように人間には生きる意味と価値など無いのだろう、と。
意味は必要とされるものに与えられるものだろうと私は思います。
言葉は必要だから様々な意味がある。金も必要だから存在する価値がある。
だが人間など存在する意味などあろうか。存在する価値などあろうか。
地球上、いや宇宙上から全人類が絶滅したとして何か損害などあるだろうか。
人類が絶滅したとしても宇宙が破滅するわけでもない。
むしろ何万種といる地球上の生物には大きな利益でしょう。
だが逆に言えば言葉の意味も金の存在価値も人間がいるからこそ意味を成し、存在することができるものでしょう。いってしまえはそれが人間が生み出したものだからでしょうね。
だからといって、
生きることなど無意味と言っても常人なら
「お前馬鹿じゃね?」と言われるのがオチ。
生きることが無意味、むしろ死んだ方がいいと思っている人間は確実に少数派。
少数派は前記したことを考えれば、後々破滅するのがオチです。
基本的に金と地位と権力がこの世の中、つまり人間の全てっぽいので、死んでしまっては何もかも失ったことと同じわけですよ。死んだらそれこそ無意味であると。
要は金と地位と権力が最大に有効活用できるのが集団であるわけです。
これで、腐った人間関係が腐っているにも関わらず、続く理由が分かりましたよね。
権力者が腐らせたりんごを捨てずに手元に持ちっぱなしだからですよ。きっと。
ということで、
それでも死ねない俺はチキン野郎。
まぁまだ寿命までは長そうなので、ゆっくり待ってみようかと。という言い訳。
それでは。