9月半ば、ある古い知人が亡くなった。名前を佐藤君という。
僕は上京前、大阪にある美大受験のための予備校に通っていて、佐藤君はそこの先輩だった。
佐藤君は先に東京の芸大に合格して上京し、僕はその次の年に受験のために上京して、佐藤君の家にしばらく泊めてもらった。
美大受験というのは何浪もするのが普通なので、美術系予備校の生徒は学年や年齢を越えて交流があった。そのため、先に合格した先輩が受験期間中、後輩を泊めてくれるのが慣習のようになっていた。
佐藤君とは予備校時代特に仲が良かったわけではないし、共通の趣味や話題などもあまりなかったが、快く僕を泊めてくれた。優しい人だったのだ。
だが、そうやってお世話になったにも関わらず、それ以来僕は佐藤君と連絡を取ることはなかった。やがて自分も東京の美大に合格し、学生生活を終え、社会に出て忙しく働き始めた。その間、佐藤君とは全くの没交渉だった。
そんな佐藤君とばったり再会したのはつい数年前、通勤途中の表参道駅のホームだった。彼の家に泊めてもらってから、10数年が過ぎていた。
佐藤君はその時、「今、フリーの映像作家として活動していて、ドキュメンタリー映画の助監督をやっている」と言っていた。メールアドレスを教えたら、自分が制作に関わった映画を紹介するウェブサイトのURLを送ってくれた。
それはパレスチナ・ガザ地区の分離壁を扱った、シリアスな内容の作品だった。
しかしその時の僕の感想は「ああ、そっちに行ったのか…」というものだった。
「そっち」とは何か。日本での「社会人」としての日常を捨てて、政治活動に身を投じる人々の世界のことだ。
現代日本の企業社会・競争社会からの「逃避」先としての、国際政治問題。貧乏旅行やバックパッカー、「自分探し」の旅の延長上にあるパレスチナ、イラク。
僕は佐藤君がそうした道を選んだことを、ひどく冷めた目で見てしまったのだった。
僕はその時、小泉政権下で「自己責任論」に吊しあげられた高遠菜穂子さんらイラク人質の事件について憤っていたはずだった。パレスチナ問題についての知識もあったし、そうした内容をBBSやブログに書たこともあったはずだった。
にも関わらず、僕の感想は「ああ、そっちに行ったのか」だったのだ。
その時の僕は戸惑っていたのだと思う。自分が普段、メディアを通して安全圏からしか触れていない、遥か地球の裏側の政治問題の現場に、佐藤君は直接飛び込んでいた。
そうした人をいきなり目の前にして、広告業界に身を置く太平ニッポンのサラリーマンである僕は、どういうスタンスで居たらいいのか、とっさにわからなかったのだ。
一言で言えば、僕は佐藤君に対して「ひいて」いた。突然に目の前に現れた「政治的」存在に、「非政治的」存在である僕は、何か自分の安全を脅かされたような気になってしまったのかも知れない。
昔の友達に急に宗教に勧誘されたような、選挙で投票をお願いされたような、そんな気持ちがどこがでしてしまったのかも知れない。
佐藤君とは予備校時代、政治の話などしたことはなかった。彼はその時点では完全なノンポリだっただろうと思う。
おそらく芸大を出てから様々な過程を経て、彼は「目覚めた」のだろう。映像作家になる前は、世界中を旅して回っていたという。その過程でパレスチナに行き着き、分離壁についての映画に関わるようになったのだという。
付け焼き刃の知識ではなく、自分の目で見て、足で確かめて、考え、知識を深めていったのだ。
しかし僕がそうしたことを知ったのは、彼が亡くなった後のことだった。
今思えば佐藤君は、僕が予備校時代に何かの政治問題について語ったことを覚えていたのかも知れない。僕を見込んで、僕ならわかってくれると思って、自分の関わった映画を観て欲しいと思ったのかも知れない。
にも関わらず、僕が彼に対してとった態度は、「非政治的」存在として世間を安穏と生きる臆病な小市民と、全く同じものだったのだ。
左翼政党のシンパの家庭に育ち、日頃から国際政治の問題に関心を持っていたはずの僕は、いつの間にか他の大多数の日本人と同じ「こっち側」――ガザ分離壁の「イスラエル側」、イスラエルの蛮行に目をつむり、傍観者を決め込む先進国の側に居たのだった。
結局僕は、その後佐藤君と連絡を取ることもなく、彼の関わった映画を観ることもなかった。佐藤君のことをそれ以上知ろうとすることもなかった。
もし僕が、もっと彼の活動に興味を持ち、その後も連絡を取っていたなら、彼が悩んだり苦しんだりしていたことにも、何かアドバイスができたかも知れない。
その後、佐藤君はたった一人で再びパレスチナに出向き、監督、撮影、編集まで自分でこなして、1本のドキュメンタリー映画を作り上げた。それは、分離壁を挟んで非暴力闘争を続ける小さなパレスチナの村に密着取材した作品だった。
それが佐藤君の初監督作であり、遺作になった。
今、僕は恥ずかしく思っている。
佐藤君は、その短い人生を賭けて、誰にでもできるわけではない立派なことを成し遂げた。迷い、苦しみながらも、世の中の誰かのために、身の安全を顧みずに行動し、その問題を世界に知らしめる作品を作りあげたのだ。
それに比べて僕は何だ。いったい何様だと言うのだ。本当に恥ずかしい。
今の僕には、ただ頭をたれて、佐藤君の生き様と彼の残した作品を、この場で紹介するぐらいのことしかできない。
佐藤君。ゆっくり休んでください。
いつかまた会えたら、その時はもっとゆっくり色々話しましょう。
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佐藤レオさん 訃報(IRREGULAR RHYTHM ASYLUM)
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『ビリン・闘いの村 パレスチナの非暴力抵抗』公式サイト