北京五輪の聖火リレーが、ロンドンやパリなどの都市で凄まじい妨害を受けている。
たまたま風邪をひいて家で寝込んでいたために、その光景を繰り返しニュースで観ることになり、本当に嫌な気分になった。
チベットの旗や、オリンピックの五つの輪を手錠に置き換えたポスターを掲げての沿道での抗議はもちろん、ものものしい警備を突破して、直接リレーのルートに座り込んだり、聖火ランナーに襲いかかって火を消そうとする者もいる。聖火ランナーには、女性や子供もいれば車椅子の人もいるというのに…。
なんという醜さだろう。これが21世紀の人類の姿なのか。
欧米のメディアのバイアスを抜きにしても、中国がチベットに関する深刻な民族問題、人権問題を抱えていることはおそらく事実であり、それに対して、オリンピックという国際社会の耳目を集める場で抗議のメッセージを発信する者がいることはやむを得ない。今の中国に平和の祭典であるオリンピックを開催する資格はあるのか、という主張もそれなりに理解できる。
しかしその場合でも、オリンピックはあくまで世界全人類の祭典であり、中国は今回のみの開催国に過ぎない、ということは忘れるべきではないと思う。聖火リレーは、中国人だけではなく世界各国の選手がランナーとして参加し、異なったそれぞれの政治的スタンスや個人としての思想信条を全て包含するものとして運営されている。
近代オリンピックの創設者であるクーベルタン男爵が唱えたオリンピック精神は、世界の全ての国や民族が参加し、フェアプレー精神でもってスポーツを通して理解しあうということにある。長い歴史の中でアマチュアリズムは失われ、商業化と政治利用がエスカレートしてきてはいるが、オリンピックは今なお、人類の和解と平和のための、スポーツという形を借りたひとつの理想主義の祭典なのだ。
スポーツにほとんど興味のない僕が、毎回オリンピックの開会式だけは観るようにしているのも、そうした理想主義が、その時代の最高の才能と創造性を注ぎ込んで、ひとつの象徴芸術として表現されているからだ。だから観れば毎回感動するし、観るたびにオリンピックが好きになる。
聖火ランナーは皆、そんなオリンピック精神に賛同し、ランナーに選ばれたことを誇りに思って、大役を引き受けた人たちだ。この日の晴れ舞台に想いをはせながら、何ヶ月、何年もかけて体調を整え、準備をしてきたことだろう。
ランナーの中には、チベット問題への抗議を込めた「より良い世界のために」と記したバッジを身につけた上で、あえて聖火を持って走ったフランス人アスリートもいる。そうした姿勢からは、中国のチベットへの圧制には抗議するが、しかしそれとスポーツマン・シップやオリンピックの精神とは別なのだ、政治のためにオリンピックを中止させてはならないのだ、という主張が感じられる。彼らのオリンピックやスポーツに対する想いも、聖火と一緒にかき消されて良いものだったのか。
反対派は、今回のオリンピックが、中国の国威発揚のために政治利用されていると主張する。聖火リレー自体、ナチス・ドイツがベルリン・オリンピックで始めたものだったことを引き合いに出す向きもある。
ならば、オリンピックの場を自分たちの政治宣伝に利用する勢力はどうなのか。これこそオリンピックの政治利用ではないか。
直接行動とは、詰まるところ「暴力」であり、他者の権利を力によって侵害する行為だ。
彼ら「人権」団体が、実際にチベットの民衆に向けられた中国武装警察の銃口の前に立ち塞がって阻止するというのなら、その意味もあるだろう。しかし、ただ一国を政治的に攻撃するために、ひとつの人類普遍の理想主義の象徴、平和裏に行われている儀式を汚し、踏みにじることが、そんなに立派な行為なのか。
だいたい「人権」や「小数民族への抑圧」を言うなら、世界のどこの国でも五輪など開催できないはずだ。バルセロナ五輪の際にバスク問題を理由にボイコットを主張した国があったか。次回開催国のイギリスはアイルランド問題を抱えているが、ボイコットが主張されないのはなぜなのか。

採火式に乱入した「国境なき記者団」メンバー
今回の抗議行動の中心になっていたのは、パリに本部のある「
国境なき記者団(RSF)」と呼ばれる非政府組織だ。ノーベル平和賞も受賞した「国境なき医師団」は有名だが、この「記者団」の存在は、今回の聖火リレー騒動で初めてクローズアップされた。
過激な直接行動で注目を集め、活動資金を獲得するというやり方は、先日日本でも話題になった環境テロ団体「シー・シェパード」にも通じるだろう。
現に「国境なき記者団」は、この「事業」で年間3億円以上の収益を上げているという。
3月24日にギリシャのオリンピアで開かれた聖火の採火式では、中国共産党幹部の演説の最中にこの団体のメンバーが演壇めがけて突入し、「手錠五輪」の旗を大きく広げた。これによって演説は中断した。またほぼ同時に観覧席にも男が突入し、「手錠五輪」を掲げてアピールした。これが「記者団」の代表であるロベール・メナール事務局長本人だった。
ギリシャ当局が厳重な警備網を敷く中で彼らが会場に入り込めたのは、プレス・カードを持っていたからだった。彼らの実態は本当に「記者」なのだろうか。ジャーナリストなら、ペンの力で抗議するべきではないのか。
ロベール・メナールは、この前日の23日に、ニコラ・サルコジ大統領から、フランスの最高栄誉章=レジオン・ドヌール勲章を授与されていた。
メナールは、2007年には
台湾の陳水扁総統から『第1回アジア民主人権賞』も授与されている。陳水扁と会談したメナールは「台湾こそが真の民主主義国家である」と述べた。「国境なき記者団」は、「世界報道自由ランキング」を毎年発行しているが、このランキングの中で、台湾は「自由」度ではアジアで1位に位置づけられている。(日本より遥かに上だ。)
「国境なき記者団」は、2005年に、匿名でブログを運営する方法や検閲を迂回する技術的手段などを詳しく解説した『
ブロガーおよびサイバー反体制派のためのガイドブック』を発表し、検閲や発禁などの報道抑圧が行われている国として、中国、ベトナム、イラン、キューバ、サウジアラビア、ウズベキスタンなどを挙げた。これらは全て社会主義国、及び反米国家とされる国々だ。このガイドブックの発行を支援したのはフランス外務省だった。

「国境なき記者団」のロベール・メナール代表
サルコジの前のシラク政権は、良くも悪くも中国を「戦略的パートナー」と位置づけ、親密な関係を演出してきた。しかしサルコジが大統領になると、フランスは対中政策を軌道修正し、政治的に中国と距離を置くようになった。サルコジは、チベット暴動勃発後は、EU諸国の首脳の中でもいち早く北京オリンピックのボイコットを示唆した。
サルコジ政権のこうした対中強硬姿勢の立役者は、外務大臣である
ベルナール・クシュネルだと言われる。
クシュネルは「国境なき医師団」の創設者の一人で、「記者団」のロベール・メナールとも親交があると言う。「国境なき記者団」自体が、このクシュネルの意向を受けて行動している可能性は高い。
ベルナール・クシュネルは、60年代末の「五月革命」の時代にフランス共産党に入党、左派急進党などを経て現在は社会党に属している、日本で言えば全共闘世代にあたる「左翼」活動家出身の政治家だ。(「記者団」のロベール・メナールも、歳はクシュネルより若いがやはり「五月革命」時代に頭角を現した極左の活動家で、15歳の時には中学校で学校封鎖をやってのけたこともあるという。)
クシュネルは、70年代以降は「国境なき医師団」の活動を通して、半ばタレントのようにメディアに出演するなどして知名度を獲得した。70年代末、活動方針の対立から「医師団」を離脱して「世界の医療団」を創設。80年代末からは国際機関の人道的介入を進めるキャンペーンを推進し、88年にフランス政府に入閣。90年代末には国連高等代表としてコソボの統治にあたり、93年には『人道活動のための財団』を設立。2007年のサルコジ内閣成立と共に外相として政権に加わっている。
クシュネルは、社会党員でありながら、右派の推進する労働政策や社会保障改革などに賛成しており、また社会党の中心メンバーになることを意図的に回避し続けているとも思われることから、社会党員という肩書きは隠れ蓑に過ぎないという見方も強い。
対外政策的には完全なタカ派で、2003年にはサダム・フセインがイラクを去ることに賛意を表明。『タイム』紙に「人権の名においてアメリカ合衆国のイラク介入を支持した」として「最も世界で影響力を持った100人の人物」の1人として取り上げられた。
2007年9月には、テレビに出演してイランの核開発に懸念を示し、「最悪の場合(=戦争)に備える必要がある」と発言した。
2007年6月、やはり「人権抑圧国家」として非難されているミャンマーに対する追加経済制裁をフランスが決めた際には、クシュネルは「欧米諸国による経済制裁よりも、アジア諸国による圧力のほうがより効果的だ」として、フランスの企業がミャンマーから撤退する必要はない、とした。実は、フランス企業では石油会社のトタル社がミャンマー南部でガス田を操業しているが、そのトタル社は、クシュネルの経営するコンサルタント会社「BKコンセイユ」と契約して、
国際的な批判をかわすためのアドバイスを受けていたのだった。
(蛇足?になるが、クシュネルは、その筋では有名な
ビルダーバーグ会議にも出席している。)

サルコジとベルナール・クシュネル
これからの時代は、政党や国家の枠組みを超えた民衆運動や市民運動が、政治の主役になっていくことは間違いない。
しかしその時代を見越して、世界の支配層は、既にそうした運動を体制内部に取り込み、道具として使い始めている。それを統率するのは、自称「ジャーナリスト」や「人権活動家」、そして体制に手なづけられた社会民主主義者だ。
アメリカが軍事力を使って20世紀の覇権国になったように、ヨーロッパはそうした民衆の力を利用して覇権を確立しようとしているのかも知れない。
そのひとつの象徴的な存在が、ベルナール・クシュネルや「国境なき記者団」であり、今回の聖火リレー妨害は、その最初の目に見える「戦果」だと言えるだろう。
こうした運動の特徴は、世界の「人権派」の眼を欧米の帝国主義的覇権や世界的な階級対立から逸らさせ、環境や動物の権利、発展途上国の反体制派の人権へと問題をシフトさせることにある。力をつけてきた途上国に、「お前の国は環境を破壊しているだろう」「人権を抑圧しているだろう」と言って圧力をかけるのは、かなり以前から欧米の覇権主義者の常套手段になっている。そしてヨーロッパ・リベラリズムはそれに完全に利用されている。
その背景には、ヨーロッパ伝統の「啓蒙思想」と、その裏に隠された微温的な白人至上主義、有色人種蔑視、第三世界蔑視の意識がある。遅れた野蛮人や異教徒を、進んだヨーロッパ・キリスト教文明が導くのだ、という傲慢さだ。
「シー・シェパード」の反捕鯨活動のように、既に先進国の仲間入りをした日本のような国に対しても、その傲慢さは容赦なく発揮される。
市民運動には、確かに世の中を変革していく大きな可能性があるが、運動をすること自体が自己目的化しているような運動は、簡単にそういう連中に乗っ取られ、あるいは利用される危険がある。
路上で空しく消された聖火が象徴しているのは、近代オリンピックという人類の理想の敗北だけではない。
人権や自由という理想そのものが、他者を攻撃する口実に使われ、市民の力、民衆の力というものが無知ゆえに薄汚い政治に利用される、暗い未来をも象徴しているのだ。
[追記]
今回のヨーロッパにおける聖火リレー妨害において、実質的にフランスが大きな役割を果たしていることについては、以下の点を指摘しておく必要がある。
ひとつは、フランスと中国の、アフリカにおける利権の争奪戦。その大きなものは石油利権だ。
今や世界第2位の石油消費国になった中国は、世界中の産油国から石油をかき集めている。
中国は、60年代からアフリカ諸国に支援を行って地道に影響力を維持してきたが、2000年代に入ってからは、胡錦濤がエジプト、ガボン、アルジェリア、温家宝がガーナ、コンゴ、アンゴラ、南アフリカ、タンザニア、ウガンダなどを歴訪し、ナイジェリアやアンゴラ、スーダン、ウガンダ、モーリタニアで油田開発に乗り出すなど、積極的な資源外交や開発を進めている。もともとナイジェリアやコンゴのように紛争が頻発し、政治家の搾取率が高い国は、資本投下のリスクが高く、欧米の企業が参入に消極的だったところを、その隙を突いて中国が参入してきたという図式もある。
一方、アフリカ大陸は昔も今もフランスの「裏庭」であって、特に中央アフリカにはフランスの旧植民地国が数多くあり、この地域を国際政治学用語で「フレンチ・スピーキング・アフリカ」と呼ぶほど、決定的な影響力を持っている。これらの国々にはフランスの外人部隊や軍隊が駐屯しており、フランス企業の利権を保護し、その国の政府に圧力を加えてコントロールしている。それらの国の政府も、支持基盤が弱いためにフランス軍を後ろ盾にしたり、フランスに援助を仰ぐことで政権を維持している。(ちなみにフランスと双璧を成すアフリカの旧宗主国はもちろんイギリスである。)
欧米諸国からすれば、中国は自分の家の裏庭を荒らす闖入者であり、コソ泥なのだ。中国は踏んではいけない虎の尾を踏んでしまったのかも知れない。
もうひとつ、より大きい枠組みとして、イギリス(=EU) VS ロシア・中国連合の「見えない戦争」があるが、もっとややこしいので今回はパス。
ヒントを書いておくと、ここ数年、ロシア政府批判をしていた亡命者やジャーナリストが、旧KGB流儀のエグいやり方でロンドンの街中とかでバンバン暗殺されたりしてますね。これはプーチン政権がやってるという話もあるし、イギリスの諜報機関がやってロシアのせいにしているという話もあるが、何ぶんスパイ戦争の話なので真相は闇の中。とにかくキナ臭い背景がありまくり、ということ。
経済復興を果たし大国になったロシアで、今度オリンピックが行われるのがいつになるのかはわからないが、その際にはロシアの「人権問題」をネタに、北京以上の騒乱が繰り広げられるだろうことは、今から予言してもいい。
[さらに追記]
結局ロンドン、パリに続いて激しい妨害が予想されたサンフランシスコやブエノスアイレスでの聖火リレーは、当局の巧みな警備やコースの土壇場変更、短縮もあって、大きな混乱はなく終わった。
その国の当局が何が何でもリレーを成功させようとすれば可能だということがわかった。
イギリスとフランスの政府だけが、意図的に聖火を護衛する体制を整えず、妨害行為を半ば野放しにしていたのではないか、あるいは両国の妨害行動が当局のコントロールのもとに行われたのではないかという疑いが濃くなった。
聖火をどう扱うかは、その国の対中国姿勢を問う踏み絵のようなものになっている。
聖火は現代の国際政治の勢力図とその未来を照らし出している。