「桜−老木−」
見るからに年老いた木がこの周辺一帯に立っている。
毎年春が来ると、命を奮い立たせるかのように見事な花を咲かせ、見るものに深い感動を与えてくれる。
あと何年、何十年老木たちは花を咲かせてくれるのだろうか。
毎年春になると私はこの地に足を運ぶ。
老木は今年も淡い色の花を咲かせ、短く過ぎ去る春の空に凛と聳え立つ。
和歌山電鉄貴志川線−大池遊園−(写真も)
「猫爺が死んだ」
去年の秋、まるで花が萎んでポトンと地に落ちるかのように逝った猫爺。
思えば16年前の雨の日、団地の垣根の中で泣いていた黒い塊を家に連れて帰りそのまま家人(家猫)となった。
その人生(猫生)は家の子供らの成長を見続け、子供らが巣立った後もじっと我が家の日常の中にあった。
晩年はやせ衰え、日増しにお迎えが近い事を知る日々であった。
私の就寝時にはいつも枕元に来てくれた猫爺、もの言わずともその存在は計り知れぬほど大きい。


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