ゲームは暴力だエロ本は不健全だ条例だ規制だ法制化だ松沢知事世露死苦あーだこーだ言うヒトの中には、きっと買い物する時にコミュニケーション取るのが甚だしく苦手なヒトがいるに違いない。
…と、ちょっと思った。
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神奈川県のゲームの18禁規制にまつわる問題は、昔から繰り返されてきた、エロ小説〜ハレンチマンガ〜テレビ批判〜ゲーム脳に至るまで、新興メディアが人口に膾炙する過程で出会う関所でしかない。恐らくは、いずれ時期により一進一退はあるだろうが、ある種の妥協点が「世間」というシステムの中で慣習法として出来上がって行くだろう。
「それまで待てない!」という事態を客観視できない近視眼の持ち主や、宗教的自己実現のために「俺以外」を信用できないカルトな人、もっと上位の目的を必要としている人の動きが、目に余ろうとしているが、そこは逐一対応していくしかないのかもしれない。
▼ただ、今回の規制問題に関してだけ言うと、ちょっとした流通上の問題が一因としてあるのではないか…と感じている。
どういうコトかというと、自分の身辺でのゲーム店の姿と、報道で見る松沢知事の説明会に出席するようなゲーム店長や業界関係者の姿に少し「ズレ」を見出したからだ。
ウチは東京近郊の住宅街なワケだけど、主にゲームが売っている現場は「BOOK OFF」のような中古店や「TSUTAYA」のような店、そこまでの大きなチェーンでないものの、古本や古CD・DVDなどと一緒にゲームを並べているフランチャイズ店。こういうところはそう取扱商品に詳しいワケではなかろう。
個人的な体験から言えば、古本持ち込んでも、その作者なり作品内容なりで独自の価値観から買い取り価格を決めるコトはできない、一山幾らのマニュアル店員しかいない。基準は大体、発売からどのくらいの期間が空いているか、人気シリーズか、タイアップの他メディアにも元気があるか位のモノだろう。
となるとゲームの場合、勢い大手ゲーム誌の扱い位しか参考になる資料がない。発売点数が個人がチェックするには余りに多いため、現実には多少ゲーム好きな店員でも、好みにより全く知識がないコトは充分に考えられる。そのため、客の側から何か質問したり、それに店員が答えたりするような機会がないコトの方が多いだろう。客の方が十二分にソフトに対する知識を持っている場合もかなりあるはずだ。
ゲームに限らず、コレは本でもCDでも大体似たようなモノだと思う。
とすると、そこで起こるのは店と客のディスコミュニケーションであり、店は雑誌に載っている現物を置いているだけの機能しか果たせないという事実である。客から言えば、品揃えの個性などなくとも買おうと思うソフトさえ置いていればいい。
時にPOPのうまい書店がワイドショーの暇ネタになったりするが、それはそれだけ流通の最先端を担っている「プロ」な店の存在感が普段希薄な事実に対する逆からの証左と言えよう。
▼つまりいまや極一部の専門店を除けば、実際ソフトを購入する場合には、客は店に対して、そもそもその専門的知識や品揃えに対する期待などハナっから期待していないコトになる。
実際はそういう「プロ」はいて、限られたヘビーユーザーな客はそれを楽しんでいるのだろうが、大多数のライトユーザーは店とソフトに関する情報交換はしていない。だからこそそこでライトユーザーないしユーザー外に位置する松沢知事とそのブレインは、最も身近な「専門家」であるゲーム店長すら呼ぶコトもなく条例を制定するという暴挙に出られたのではないか。
▼さてその一方で、松沢知事も「市民」からの声がなければ、ココまでの暴挙はしなかったであろう。問題はその「市民」である。
例えば、ある日買った洗濯機や掃除機など電化製品が調子悪かったとする。その時、客はいきなり条例にその問題解決を求めない。購入店へまず文句を言うはずだ。その購入店からメーカーなり団体なりへその内容は報告されるはずで、そこには流通に対する信頼があるらしい。
だとすれば、コレがゲームやDVD、本などのソフトでも当然同じ考えに至れば良い様なモノだが、不思議なコトになぜかそこが同じにならない。店に文句を言うでなく、県庁へ陳情である。しかも商品の改善を求めるというよりも、家庭を取り巻く地域のモラルに話を持っていく。
コレは正に上に長々と書いた、「プロ」に何も期待しないという態度なのではないか。自分の狭い了見に合致しない商品を売りつけた…と店に言えないひ弱な精神性があるような気がしてならない。そこには店の努力も期待せず、商品が背負っている業界への想像力もない。
流通に対する絶望があるのではないか、と好意的に解釈できる可能性もないではないが、せいぜいが暴力性やエロチシズムへの画一的な批判のみで、行動原理は「ウチの子に見せたくない」程度のことである。
あるのは自分の身の回り3〜40坪・11メートル四方のコトしか見えていない引きこもった感性ではないか。
というワケで、冒頭の「買い物下手」という評価に繋がるのだ。…いささか飛躍承知で言う。
今やちょいと郊外や地方へ出ると、地元商店と世間話の中で「お墨付き」をもらって買う社会性ある買い物でなく、駐車場のでかい大規模スーパーやコンビニで通り一遍のレジを叩いてもらうだけの機械的な買い物でコトが済んでしまう。
このような会話のない流通が、店に期待できないどころか場合によっては敵視すらする閉じた感性を生み、「キマリ」に解決を求める状況を呼んでいるのではないか、と思うのだ。

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