「映画『DEVILMAN』を通して如何に強者足りうるか?」
■映画『DEVILMAN』■
▼あ、初めていらっしゃった方は、一つ前のエントリーをご覧下さい。そっちに観客としての意見が載ってます。今回は本家のBlogにトラックバックされていた記事への言及です。
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映画『DEVILMAN』の公式Blogにて、なんつーか、物言いに対してあふれ出ている自己顕示欲が正しく対になっていて、非常に面白いトラックバックを見つけたので、さらにメタな外枠にて語っておこうと思う。
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「資作通鑑」
▼まあデリダを引用しようが、マクルーファンを引用しようが、構わない。大体引用の多い文章、ことにそれが発言の核心に近いところの引用であるばあるほど、一見洗練されているようで、自己の内実にはもう一つ向き合っていない言論となっているものだ。自分をインテリに見せようという目的に反してね。
誰を追悼しようが、それが他者を貶めて自己を優位に上げるという行為の一環である以上、さしたる意味はない。
どういう言葉を借りてくるにしろ社会学的な「知」によってある構造を見定めようとする行為は、あるスノビズム、より簡単な表現をとれば「ナニ、分かったようなコトをイイ気になって得意げに語ってんだよ、ノンキさんだなあ」という空気をまとうこととなる。
彼自身、そういうコトについて言及しているのだが、自己についてはさておき、という辺りがこの映画を語る言葉らしいと思う。責任者不在の空気がね。
そしてこのサイトでは、書き手彼自身が正当な引用と健全な批評をしていると感じている。その一方で、匿名性を最大限に生かした態度をとることで、ご自分の言質が、実はバックグラウンド不在の尊大な物言いとなっている事実に無自覚である。付言すれば、この映画を巡る言葉の渦の中で、「勝ち組」を指向しているだけだ。
ああ、何とこの映画と比例していることか!
どう弁解があろうが、こういう論議に敢えてこういうお題で入ってくる段階で、そうなる。意識的にせよ無意識的にせよ。
▼ナニ、簡単なことだ。
要はこのBlog者は映画『DEVILMAN』の作り手にも観客にも与しない事で、自己のネット空間における優位性を宣言したいのである。
もっと砕いて言おうか。彼が言っているのは即ち、
「おめーら、別にクリエーターでも何でもねえタダのマンガ読みのクセして、作り手側に何尊大なクチ利いてるんだよ!まったくノンキだなあ、立場もわきまえないクズどもが。
…確かにテメエら愚民が文句言うポイントは俺も分かるさ。
ならやってみろよ自分で?できんのか?当事者でもないこのメクラどもが!『デビルマン』はそういうヒステリックに何かを叫ぶコトをこそ、テーマにしてたんじゃないのかよ?お前ら自身今やってるような行為に対しても、問い掛けられてんじゃないのかよ?
…なーんて言ってるけど、まあ俺、そういうのは予想の範囲内だけどな。」
つーことである。
▼このBlog者の理想に思い描くネット上の言論空間は、こういうものだろう。
常に自分の発した言葉が自分にも跳ね返ってくる、そういう覚悟があるべきだ。従って、そういう覚悟がないまま、反射的に書かれた言葉は直ちに、それ単体で意味ある言説とはいえない。まとまることで社会学的分析の材料にはなるだろうけど。ネット言説っていうのは、なぜそういう愚鈍な言葉に満ちているのだ。
俺も割とそう思ってる時期があって、今もその残滓をちょっと引きずったりしているワケだけども。今はまとめた記事と日常の反射的な言葉が重層的にあるのがより理想的だと思う。
実はそれだけに、自分を見てるようでこっ恥ずかしい気分にもなったのだ、このトラックバック先を読んだ時は。
しかしこの彼、コメントを受け付けない設定している段階で、そのいささか挑発的な言葉に対して非常に保身的なスタンスであり、荒らし含めて様々な批判があるだろうことまで予見はしている
。「さあこい!暴漢(キチガイ)ども!」と庖丁と火炎瓶持って構える美樹のつもりなのかも知れない。
俺からみれば、テメエ言ってるコトとやってること違うだろう、でしかないのだが。
▼俺が前のエントリーを上げたのは、このBlog者が言わんとすることを自己内で反芻した上で、釈然とした想いを拭い去れないが故である。
理屈で言えば、俺は永井豪・石川賢とダイナミックプロ原作のチープの典型のような、テレビ特撮映画
『バトルホーク』はコレもうOKOK!という人間である。この作品のツッコミどころや版権を巡るメタ的な部分などは、
映画『DEVILMAN』など非ではないくらい凄まじい。
そんな俺があえてなぜ、映画『DEVILMAN』は貶さねばならんのか、もう全く矛盾している。正直理屈ではない。恐らく5年もすれば無視して通り過ぎられる程度のことなのだ。だが、見た直後に抱えた思いは、冷静かどうかはさておき、とりあえず5年後に対して吐き出しておこうということなのである。
▼理由?そりゃ5年後、自分で読み返したら面白いからに決まってるじゃないか。
自分が映画の世界には遠く及ばないにせよ、そういったことに似た商売をしているから、というのもあるだろう。所詮ナニを叫んだところで、興行が観客の目前に開けた時には、大した意味はない不遜な態度なのは承知の上だ。俺は10億なんてカネの使い方も良く分からない。
ただ自分の職業はさておき、今ダイナミックプロさんをネタに他人の褌で相撲取ったサイトを運営しているファンとして、論理になる前の形而下的な「気分」を文字にとりあえず起こしておけて、あとでまた読み返すのは個人的に楽しい。そんな「俺データベース」にもできるというのはネットの利点だ。
俺自分大好きだしな。そう思ってキーを叩き続けているのだ。
▼まあ、愚かしいと見なす対象の人たちに茶々入れて、自分の優越感を満たす、というのもリンクが原則的に自由なネットの利点でもあるけどね。
そういう意味ではこのBlogに茶々入れるという行為も、彼のエントリーが実は非常に反射的かもしれないという、別の意味をもたせる試みになるかもな。
まあ、彼自身も映画『DEVILMAN』は観客として観た場合、相当につまらない、ということは認めているので、対する立場ではないのだろうけども。多分、この映画はあまりに素材が剥き出しに提示され、まとまりを欠いているが故に、思わず立場こそ違え何かを叫びたくなるモノなのだろう。亀戸の中心辺りから。
▼しかしこの
「資作通鑑」さんもトラックバック先はなぜかご自分のテーマとは関係ないCGパートのメイキング。何はともあれ、「感想夜露死苦」なトラックバック先は公開当日に一つ作ってくれれば良かったのにね。
こういうところ、やっぱり情宣下手だなあ、このパブスタッフは。