…つーコトで、「ビバ!ダイナミックBlog」とか名乗っている割には、あんまりにもダイナミックネタあげてないので、たまにはその辺の話してみようかという。

ハイ、コレは「少年マガジン・1980/9/15増刊号」でござんす。
ご覧の通り、表紙には賛否両論の作品『新デビルマン』が大きく載っておりますよ。掲載は第三話「美しき軍神・サモトラケのニケ」。原作『デビルマン』にある飛鳥了のセリフ「デーモンに愛はない!」を地で行く、アモンの恋人(?)女デーモン・ニケが登場する回。
▼大体デビルマンはこの間布袋寅泰氏のCDジャケを飾ったり大阪芸大のマンガ誌表紙を飾ったり、実にこの30年以上もの間、様々に描かれているのだが。今はすっかりキャラ化しているせいで、ある種の揺らぎはなくなった気がします。
ちょっと残念なんだけど、その失われた揺らぎ。
不動明変身体であるところのデビルマン・明の顔は、その折々に連載されていた他作品の顔を映すコトが多いんですが、この号見ると、実際に原作が連載されていた時の顔とは全然違う。シレーヌと対峙したやんちゃな顔よりも、少し老長けたジンメン篇以降の顔よりも幼くなってますな。
まして後にバイオレンスジャック化した時とは、骨格からして違う。どこか哀しげな黒目がちな瞳と少しアゴの線〜首にかけてのラインが細いのが特徴的ですね。じゃ、コレは誰だ。
▼…つーコトで同時期の作品を見てみるってーと。
この時期豪ちゃんは、連載中の『凄ノ王』が講談社漫画賞受賞。KC5巻付近の合田との名勝負・学園マンガとしては最高潮のノリを見せたボクシング篇が終わった頃かな?で、いよいよノスフェラトウと真吾の戦いが…という時期。
明らかにコレは、朱沙真吾の面影なんですな。彼の線の細さが影響しているに違いない。んでもって内容はといえば、非常にロマンチックな一品。
----------(あらすじ)
古代ギリシャ時代にタイムスリップしたデーモンハンター・明と了は、地中海の戦争に近代兵器を持ち込み、人々の闘争心を煽る美しき女神・ニケと出会う。明は迷わず変身しニケに攻撃を加えるが、傷付いたニケは意外にも、自分は明と合体したデーモン・アモンと愛し合った恋人だと語る。明とアモンの記憶が交じり合い、ニケとの愛を思い出そうとしたその刹那、了が虚空より出現、「だまされるな!」と叫び、ニケにとどめを刺すのだった。
「それ以後…女神ニケの像には、つねに首が作られなかったという」
----------(以上)
▼誰もが知っている(のだったが今はどうなんだろ)石像ニケ。首と腕は本来は脱落したんだろうけど、そこを「そう作った」と解釈した視点に当時中学生だった俺はいたく感動したのよ。
この時期の豪ちゃんの演出力は円熟期を迎えてるし、ご本人はじめ、安田達矢・五十子勝・石川賢各先生の線もいいしね。ダイナミックプロも『ハレンチ学園』や『あばしり一家』の時期のページごとに別の個性がぶつかって、とてつもない勢いが出ていた頃とは違うまとまりがあって、「永井豪とダイナミックプロ」ブランド作品自体が、もっと一つの個性を作り上げていた気がしますな。
そういう意味で、この『新デビルマン』は原作にないある種の余裕を孕んだ、キャラクター共通のオムニバス作品としての面白さがあるね。全般にロマンチックというか、ともすれば少女マンガ的なやわらかさがあるですよ。
ま、そこが逆に原作と一本化した場合、甚だしいギャップを生んでしまう結果になってるんだけど。文庫に入れるにしても、やっぱり掲載時期が7年も離れた別作品であるコトを明記して「別巻」扱いして欲しかった所以。
▼閑話休題。
「とダイナミックプロ」といった場合、主にネットレビュー見てると、罵り言葉としての複数作家、もっといえば「ゴースト」作家が絵を描いているという視点で語られるコトが多いのだけど、そこは違う、と声を大にしたい。
往々にしてマンガってーのは、個人作業。
だから作家性が前面に出るせいで、複数の人の手になる完成はそれだけで拒否されるキライがあるんだけど。そういう意味で、「どーせ」的な文脈で「豪ちゃん描いてない」発言が繰り返されるのも分かるし、非難するつもりならそこなんだろうな、と思う。でも俺はその切り口が非難じゃなくて愉悦なワケですよ。
ある時期より以後、豪ちゃん作品と目されている作品は、基本的に「永井豪とダイナミックプロ」表記がされているワケで、豪ちゃんの作品への関わり具合もその都度色々だろう。で、俺はそこで非難されているところこそが楽しかったりするのだ。正直永井豪ファンであると同時に「とダイナミックプロ」ファンなのね。
それを楽しんでしまうようになると、ダイナミックファンとしちゃ、引き返せない泥沼の愉しみを知るコトとイコールなんだけどね(笑)…誰にもは薦めんです、ハイ。
つまり、原作『デビルマン』は「永井豪とダイナミックプロ」表記でありながらも、非常に神がかった「永井豪」という一人の作家性が前面に出ている作品。一方この『新デビルマン』はもう少し「とダイナミック」比重が明らかに高いワケで、だからこそ別作品、なんだよな。やっぱり。

▼さてそんな「とダイナミックプロ」目線は、実は絵だけにとどまるモノじゃないのよ。この表紙に書かれているクレジットにご注目。
「永井豪・高円寺博」なのです。さらにトビラには「劇画・永井豪 原作・高円寺博 ダイナミックプロダクション作品」と明記されとるんです。ま、それが時代も変わりスタッフも代わりしていく内に「永井豪(とダイナミックプロ)」チックな扱いになっていくワケだけどさ。この高円寺氏、いうまでもなくアニメ『マジンガーZ』の脚本や『デビルマン』のデーモン界の設定、『まぼろしパンティ』の原作者でもあり、小説『真・デビルマン』も書いた、豪ちゃんの実兄である永井泰宇先生。
面白いのが、作者の声がこの号には掲載されていて、
----------(以下引用)
高円寺博先生「デビルマンの魅力とは何だろう…?果たしてデビルマンの魅力を損なわないで新しいイマジネーションのデビルマンを創造することは可能なのだろうか…?その答えはいらない。ただ決意するのみ---これがぼくの決意です。」
永井豪先生「それは中学時代の美術の教科書にのっていました。ほんの小さなサモトラケのニケ像の写真でした。その美しさに思わず興奮したのを覚えています。そんな思いが、今回の『デビルマン』をかかせたのでしょう。お楽しみください」
----------(引用終わり)
ま、疑いだすとどこまでが本来の「声」なのか、となってしまうのだがそういう邪推はこの際捨て置き。アモンに、明と了の関係に、どう切り込むか悩んだ高円寺先生に対し、豪ちゃんあくまで絵の面白さに没入したカンジが伝わってきて、楽しいコメントじゃないですか。
▼1969年・ダイナミックプロ設立以後というのは、良きに付け悪しきにつけ、「永井豪」は一人じゃない、と思うワケだ。無論、豪ちゃんのコーディネート・プロデュース能力に負うところは非常に大きいのだけど、様々な局面で企画・スタッフ・編集者の影が垣間見える。
それは別にスキャンダラスな話じゃなくて、例えば編集者と激しく戦った『ジャック』の人質ごとヤクザ切り殺す名場面や、ハレンチ大戦争の世間様への恨みつらみ、マジンガーシリーズの文芸・企画構成である菊池忠昭(団龍彦)&永井隆両氏の存在、もっと遡れば『ガクエン退屈男』あたりは石川賢先生とのコラボで出来た部分が大きいんだろうなとかいうコトなど、プラスの例をいくらでも挙げられる。
彼らは非難する側からすればノイズなのかもしれないけど、やはり「永井豪」という現象を捉えた場合、欠くべからざる必須条件だったのだと思うワケさ。
そういう意味では、恐らく高円寺先生も名前のクレジットこそココで始めてされたようだが、上に挙げたようにそれまでも様々な局面で「とダイナミックプロ」だったに違いないのだ。別に諸先生方の持分、分担を明確に線引け!なーんて野暮は言わないけど、そこであれこれ想像する楽しみくらいは罰も当たらないだろう、と思うがどーよ。

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