旧パラを検証する25
第三号3
前田三桂著
失礼御免 ヘタの横槍 乾の巻(2)
第二槍
将棋の起源は印度らしいが、西流しては西洋将棋となり、東漸して日本将棋となった。
今から八百年前、康治元年九月十二日、崇徳新院の御所で、摂政藤原頼長が源師長朝臣と将棋を指したというから、随分古くから晋紳公達の間に弄ばれた。併し此時代の将棋は駒が百三十箇もあつたという大将棋である。其後駒数を九十二箇に減じ縦横十二路の中将棋に改められた。後低奈良帝は此中将棋を愛好せられ、藤原晴光伊勢守貞孝等、当時の名手を召されて中将棋を闘はされた。此頃現在の将棋が創案せられ、駒数が四十箇に減じた所から、取った駒を再び味方に使用するという名案が生れた。此新案に依り将棋が変化極まりなく、一層妙味が深くなつた。
大橋宗桂が徳川幕府から食禄を受け、将軍家の指南役となつてから、大に将棋熱を煽り将棋が勃興した。其後毎年十一月十七日御城将棋の儀式が津々浦々まで伝播し、寛政文化の隆盛期を経て、今日の如き空前の将棋黄金時代を現出するに至ったのである。
昔は七段八段の手合などは、五年に一回もあるか、十年に一回行われるか、実に稀有の事であつた。古書を繙て見ても数える程しかない。夫れが今日では七八段の将棋は食傷する程見られる。俺が斯うして名人上達の珠玉の棋譜を物色して、お添えの物の横槍を振廻す事を得るのも、此の結構な世の中に生まれあはせたお陰である。
又金子七段を引っ張り出して来るのは、些かお気の毒ではあるが、序盤珍しい作戦を凝らすのは、金子氏の特徴であるから、又候四八銀の将棋を引っ張り出してきたのである。
昭和七年二月
先手:金子 金五郎 七段
後手:金 易二郎 八段
▲4八銀 △8四歩 ▲2六歩 △8五歩 ▲7八金 △8六歩
▲同 歩 △同 飛 ▲8七歩 △8二飛 ▲2五歩 △3二金
▲6九玉 △6二銀 ▲5六歩 △4一玉 ▲5七銀 △3四歩
▲2四歩 △同 歩 ▲同 飛 △7四歩 ▲5八金 △7三銀
▲7六歩 △6四銀 ▲2八飛 △2三歩 ▲6六歩 △7五歩
▲6五歩 △同 銀 ▲2五飛 △3五歩 ▲同 飛 △5四銀
▲7五飛 △4四歩 ▲5五歩
*指し掛け
△4三銀 ▲5六銀 △7二金 ▲6六角 △4二銀 ▲7七桂
△3三角 ▲3六歩 △5一銀 ▲4八角 △9四歩 ▲6五飛
△9五歩 ▲8八銀 △5二銀上 ▲7九玉 △5四歩 ▲3七角
△5五歩 ▲同 飛 △4二角 ▲2二歩 △同 金 ▲5三歩
△6一銀 ▲6五銀 △8四飛 ▲6四歩 △同 歩 ▲5四銀
△同 銀 ▲同 飛 △4三銀 ▲6四飛 △2四角 ▲3五歩
△同 角 ▲6八金左 △6四飛 ▲同 角 △3二金 ▲3三歩
△同 桂 ▲4六歩 △5七歩 ▲5二歩成 △同銀上 ▲2二飛
△5一玉 ▲2一飛成 △3一歩 ▲5七金左 △5六歩 ▲3一角成
△同 金 ▲同 龍 △6二玉 ▲4七金寄 △6八歩 ▲6五桂
△7七歩 ▲6三歩 △同 玉 ▲6四歩 △5四玉 ▲7七銀
△7八歩 ▲8八玉 △6九飛 ▲6六銀 △7九飛成 ▲7七玉
△8八角 ▲6七玉 △6六角成 ▲同 玉 △5五銀 ▲7七玉
△6九龍 ▲3六角 △4五歩 ▲3三龍 △6六銀 ▲同 玉
△4四角 ▲同 龍 △同 銀
で次の局面になった。

此時 金子七段の手中には唸るほど駒を持っている。王手詰にする位は手間も暇もかからぬ。然るにアラアラ不思議や。金子氏は三二角と打って王手を掛けるには掛けたが、尻切れ蜻蛉で後が続かない。
此局面では先ず六三銀と打って敵の退路を絶ち同金又は同銀と取らせてから三二角と打つべきである。四三飛、四五角、同銀、五五金で詰である。
又初に六三銀打った時、四三玉なら五四角(四二玉、三二金、五一玉、四二銀、六一玉、七二銀成)三三玉、三四歩、同玉、二五銀、三五玉、二七桂、二六玉、一六金打で何でもない即詰みだのに、評者も蒟蒻の拍子木のように音なしく沈黙して御座るから、見るに見兼ねた横槍が、横合から失礼御免へニューツと突出す事依而如件。アツハツハ。失礼御免。
金子七段の好んで指す七八金や四八銀などの指し方は、昔の棋譜には見当たらない。要は敵の応手を伺い然る後に作戦を樹立せんとする腹である。併し好んで真似るべき手ではない。先手では別段奇を弄せず素直に七六歩とか二六歩とか飛角の活動を先に図るのが順理の指し方である。
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今回の詰み抜けは今迄に比べると、難しいですね。残り時間が少なければ、ウッカリすることもありそうですね。
今回は棋譜より、将棋の歴史の薀蓄の方が私的には興味を覚えました。知っていることばかりではありましたが、たまに読み直すのは必要なことですね。