旧パラを検証する1
旧パラ前史
旧パラの前身は「紳棋会報」でこれは昭和22年9月10日第一号発刊。昭和24年10月第47、48、49合併にて発展的終刊。
詰パラ主幹の鶴田諸兄氏が愛知県昭和警察署の警備主任の頃、指将棋の同好者グループ「紳棋会」の動静をガリ版で配布していた。発足間もなく、この会報に大道棋の研究が載るようになり、希望に応じて全国各地にも頒布された。(50部位)原則として月1回だったが、月2回出されたこともあり、同氏が警部に任官転勤されるまで続いた。同氏編著の名著「秘手五百番」に収録されているかなりのものはこの「紳棋会報」に収載されたものである。
「旧パラ」昭和25年4月15日創刊、昭和28年6月最終号。紳棋会発行。
「紳棋会報」を発展的に解消して誕生した。
したがって、当初は実戦も大道棋も詰将棋も全て載っている雑誌で、中でも大道棋に可也のページを割いている。鶴田主幹が一番やりたかったことは大道棋の解明だったようで、大道棋がメインであり、今の詰パラは庇を貸して母屋を取られたという印象を受ける。
次に旧詰パラの特徴を挙げてみたい。
@書店売りで部数も多かった・・・これによって詰将棋雑誌としては空前の部数が発行された。最盛期は1万部出ていたというから、今の「近代将棋」並で、また「百人一局集」が付録に付いた号は2〜3万部出たと言われているから、「将棋世界」並に発行されたということで、このような詰将棋雑誌は二度と出ないと思われる。ただ、このことが命取りにもなったのも事実である。
A当時は将棋雑誌も多かった・・・当時は将棋雑誌の出版ブームだったらしく、巻末の他誌の広告が出ている。「将棋世界」「将棋評論」「王将」「将棋時代」「将棋とチェス」「将棋教室」「近代将棋」「将棋芸術」「仙台将棋月報」「アマチュア将棋新聞」この他にも少し経つと「風ぐるま」「詰棋会」等も創刊されたのであった。
B編集顧問が板谷四郎八段だった。・・・冒頭を飾るのは鶴田主幹の発刊に辞ではなくて、板谷四郎八段の「詰将棋雑想」だったのは、とても意外で最初の詰将棋もやはり、板谷四郎八段の詰将棋だった。したがって板谷四郎八段の自戦記のコーナーもあった。
C「各誌各紙詰物紹介」のコーナーがあった。・・・これは結構後の詰パラでもあったコーナーですが、要するに、雑誌や新聞に載った詰将棋を紹介するコーナーですが、不完全の指摘を指摘賞を作って行ったため、当時プロが昔の作品の焼き直しを出していたり、盗作したり、あまりにも簡単な不完全が多数あったのが明らかにされ、かつ「プロなのに情け無い」という書き方を鶴田主幹が行ったため、プロとの関係が悪くなったといえよう。でも今の雑誌を見るとそういう問題が可也減ったと思う。これは鶴田主幹がことあるごとに誌上で取り上げたからという面もあったはずで、その鶴田主幹の功績は認めても良いと思う。
D大道棋に関する記事が多い・・・実戦報告や随想や研究など多岐に渡っている。
次からはいよいよ創刊号の内容を紹介したいと思う。
付記:「紳棋会報」に関する部分を藤倉満氏の「大道棋の歴史」から引用しています。