2013/12/25

見る目を養うことも重要です。  左官鏝
先ごろ、大手有名ホテルやレストランでのメニュー偽装が
話題となった。その少し前は食品偽造で、幾つもの卸売業
などが、倒産や廃業と言う運命を辿っているのに、私達に
すれば「又しても」と言う思いです。

しかし、そこには「嘘を見抜けない消費者の目」と、「だ
ませると確信を持った作り手」の思惑が伺い知れる。

そう言う私も、この秋「マッタケが豊作で価格が下落」の
ニュースに踊らされ、5個500円で買い、喜んで炭火
まで起こして食したが喰えたものではなかった(泣)

先日、ある左官職人と話す機会があった。

「忙しいですか。」
「そうですね、ようやくと言う感じですね。」
「でも人手が心配でしょう。」
「うん、でも最近の現場はあまりにも注文が付かないんだ」
「こんな現場ばかりじゃ、職人の腕もなかなか上がら
 ないと思うから、そっちの方が心配だな。」

彼が言いたいのは昨今の現場では工務店や設計氏、
施主に至るまで細かな注文付けてこなくなったと言う
ことです。
「ここは左官仕事で白色で…」と、こんな感じだそうだ。

そして、それは注文を付けないのではなく、
求める理想像、つまり手本となる本物を知らないに
過ぎないというのが図り知れる。

道具もしかりと言える。
若い世代には確実にホームセンターで道具を物色する
傾向は多くなってきているのではないだろうか。

昔ながらの金物店で、道具への知識を語りながら物を
選んでいたのがむしろ過去の話なのかも知れない。

大手工場のラインに乗り、主婦のパートさんによって
仕上げられる「左官鏝」。

使い込むことに一切、縁のない鏝。

しかし、それに慣れれば、鏝一丁の価格相場も自然と
それが基準になってしまっている。

色々な所で見る目を養うことが本当に今は重要だと思う。
3

2012/1/30

久住有生さんが目指すところは…  左官鏝
 前回の「ソロモン流」の記事に繋がるが、1月30日に放映された
NHK[プロフェッショナルの流儀]石岡瑛子さんの生き様がやたら久住さんと
ダブって映りました。 石岡氏は三十代ですでに国内で異彩を放ち、しかし
女性と言う立場が彼女の国内での障壁となり、その後彼女は海外へ活路を
追い求めて行きます。 番組はアカデー賞受賞など華やかな面と共に
与えられた仕事に対し、徹底的にこだわる姿勢。過去の作品は過去のモノ、
それらを自ら封印し、常に新しいモノを追い求めるプロフェッシャルとしての
存在感が熱く描かれていました。
(実際、海外への挑戦はゼロからの出発。やっと掴んだチャンスはまさに奇跡)

久住氏は意図的にTVなどのメジャー出演を拒否しておりません。
むしろチャンスがあれば積極的に出演をも計画しております。

そして、その心理には間違いなく[左官]と言う職業の地位向上を願っている
姿勢があります。 やる以上、高みを志して欲しい。 1年では出来ない事も
3年あればどうか、10年あればどうか? 人は学ぶことで、常に向上する。
久住氏自身、もし彼が、彼だけの利益を追求すれば、それはもっと、楽な
道のりであったであろうと推測する。

しかし、彼は、また彼の父もあえてそれを選ばなかった。

それは彼らが目指す高いポテンシャル、そしてポティチブな思想を
より多くに伝えることで自らを高揚できる人生の楽しみ・生き方を知ってる
からだと想像する。 

当サイトでは製品の紹介をメインにしておりますが、それと同時に多くの
左官職人さんが新たな商品企画をご提案下さっております。

例え些細であってもこれらの行動は業界の向上を願う、無補償の善意な
行動です。 

かのドラッカーは語ります。 自らの意識を高めるのは他者への奉仕と
共に、その技・技術を子孫へ未来に残すことです。

左官は今や技術職であり、極めて限られた人数のみで支えられています。
この先も多くのベテラン達が引退の年齢に差し掛かっております。
彼らが今、必死で何かを残そうとしてくれている。

この先の10年。 何を成すべきかが私も含め、業界に問われるものと
信じます。 久住氏が切り開こうとする新たな道もその一つだと思う。
1

2012/1/28

ソロモン流 久住 有生さん  左官鏝
 1月22日(日)テレビ東京PM9:54[ソロモン流]にて
久し振りに左官職人が取り上げられました。
一時期はエコや環境問題もあり、頻繁に取り上げられていた頃を
思えば本当に久しぶりと言えます。

同番組はジャンルを問わず、拘りを持った人々を取り上げる
ドキュメンタリー番組。 今回は左官のカリスマとして
久住 有生(なおき)さんが出演されました。

正直、これまでの番組作りだと一人の職人の異彩な部分ばかりを
強調する作りが気になっていましたが、今回は『左官とは〜』
『職人とは〜』などを久住さん自らの言葉で伝えてくれたことは
本当に良かったです。

例えば『左官と言う技術(職業)は昔からあったもの』『それに
似せて作るのではなく本物を作りたい』

『生涯半人前でいたい。』『仕事に慣れない(惰性にならない)
常に新鮮で緊張感をもって取り組みたい』

少々文面は異なると思いますが、だいだいこの様な事を話して
おりました。確かに時代の流れ(変化)は現場から左官本来の
技術を奪って行きました。本物の土にまでに[こだわる]こと
事態が贅沢(ぜいたく)と言われる時代となりました。

しかし、この20年近く。 間違いなく左官本来の魅力が
見直されています。しかも、その多くが我々からすれば
スペシャルな現場で国内のセレブは勿論、中には海外のセレブ
ですら虜にするなるほどです。

最後に久住さんには色々な逸話があります。

『道具の手入れには本当に厳しい。』『前の現場の汚れが少し
でも見つかれば現場に入れてくれない』

『今日中に仕上げるぞと言えば本当にその日の12時59分
まで掛かっても仕上げた』等々…

彼は優れた技術と経験をもった間違いなく名を残す左官職人です。
しかしだからと言って、彼の技術が誰よりも優れているとは
彼もそして彼の周辺の人達も言いません。 磨きに長けた者や
一つ一つの技に長けた者は奥深い左官に置いては多くの名人が
存在しております。 しかし、彼が多くの仲間達を引き込む
魅力はやはり左官と言う職業に誇りを持ち、常に本物を追い
求めようとする向上心と、いかなる現場でも失敗を恐れない大胆
で且つ繊細な生き様なのかも知れません。

今年、40代を迎えようとする久住氏。

「まだ若い」と思われるかも知れませんが、私からすれば
「若くてよかった」と思っております。

だって、まだまだ二〜三十年は業界を引っ張ってもらいたい。
そして、その頃には間違いなく、彼を追い越そうとする若者たちが
多く育っていることでしょう。
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2011/3/4

自分を強くする男の仕事  左官鏝
 先日、親しくしている左官職人がお店に遊びに来た。
約1年ぶりの懐かしい顔は若かった頃のトゲは消え去り、男らしい
深みと味を見せていた。 私が「良い顔してるやん。」
すると彼は「最近、もうムチャクチャ仕事が面白くって!」
「どうして。」 「いや〜人って成れるんやなぁ」「やりたかった
仕事が次々と舞い込んで来るねん。」

彼の言葉の意味が凄く良く読み取れる。

「男」にとって、それが仕事と信じているからだ。
だからと言って、彼も高額な収入を得ているわけではない。

そして問題は金額の大小ではない。勿論多いに越したことはないが、
それよりもどうせやるなら気持ち良く働きたい。

それが「働く」ことが定めとも言える男のせめてもの性(サガ)だ。

新米の頃、初めての現場で先輩方の凄さに圧倒される。
役に立てるのは雑用ばかりと思いきや、段取りが読めないから
むしろ足手まといとなる…

数か月後、やっと小さな役で手助けとなる。

しかし、すでに神経はボロボロの状態だ…

たまの休みはもう爆睡とも言える深い眠りに入った。 若かったから
眠ることで体力は復活できたが、週明けの足取りはやっぱり重い。

「俺にできるだろうか」「俺には向いてないのかも」

試行錯誤する。 精神面でも弱っている。
だから身近な人でさえ優しくなれない。

しかし、いつの頃か、最初の小さなトンネルを抜けたようなボヤけた
光が見えてくる。 また頑張る…    光が次第にはっきりと
見えてくる。   何を何のために、そしてそれは誰のために。
それが男としての一人の人間のプライドや生きている価値を示し
初めてくる。

仕事は「目で盗め」と先人は言う。 今は間違いない言葉だと自覚して
いる。 もし、今、先輩方の心が全て読み取れたとしても。
その先輩が持つ数多くの失敗や挫折、そしてそれを乗り越えた強さは
やはり経験しない限り身に付かない。

先の彼は修業期間を終え独立。 師匠の枠に捕らわれず、あらゆる
現場で更なる修業を乗り越えてきた。

夢にまで見た憧れの先輩の元では浮かれ気分とは真逆で、最下層の
扱いに心折れそうにもなったと言う。 しかし、それが社会なのだ。

上には常に上が居る。 だから「仕方がない」と言えばそれまでで、
下を見るより、せめて上を見る・上を目指すことが男の意地でもある。

サラリーマンと違い、私たちは決められたレールに生きている訳も
つもりもない。

それはまた幸せに見えて、時に落胆させらることもある。

しかし、彼は間違いなく強くなっている。

私は60代で頑張っている左官職人の皆さんが大好きです。
「60を過ぎれば大手の現場では働けないんよ」と笑顔で話ている。

彼らも現場に立てば弟子に厳しいはずだか、私の目線からは
人生を悟ったような明るさ、優しさが感じとれる。

人は誰も老いて行きます。

ならば彼らの様におおらかでいたい。

そのためにはやっぱり仕事を「しかたない」と生きるより、
「仕事が楽しい」と思える自身の目標は重要と思える。

頑張る人には「奇跡」がやってくる。最初は10の枠を超えた
奇跡。 次には100の枠を超えた奇跡が…

一生懸命働き、一生懸命遊ぶ。

私事ですが、この3年、絶対怒らないと心に決めた。
誰にもどんな時にもである。

その結果、以前より更に多くの人が集まるようになってきた。
私は今、50を手前にしていね。
だからこそ、そうあるべきと信じている。

20代はハメを外せば良い。
30代は突っ走れば良い。
40代、周りに生かされていることを感謝・実感すればいい。
50代になれば、そんな仲間たちに恩返しが出来れば幸せと思う。

9

2009/12/6

三木の鏝鍛冶。  左官鏝
現在、国内の「鏝」生産の100%近くを担っている兵庫県三木市。
なぜ、それほどまでに維持・成長を遂げたは戦中・戦後に股がる
要因が大きい。地方にあり、基地や軍需産業とは無縁だった農業
中心の地方都市、三木市は大きな戦火に見舞われることもなく、
戦後を迎えた。その後も日本が急速な再建を迎えると都市部にも
存在した旧型鍛冶屋は効率の悪さや量産体制を構築していくと、
次第にその様相を変えて行く。
同時期、農業中心とは言え生産量にも限界があった三木市は
戦前から存在していた鍛冶屋業への特化を目指し、高度成長期を
迎えると三木市は富山の置き薬同様、三木を拠点に三木で作られた
道具を地方へ売って廻る「卸し問屋」が拡充。それらによって、
三木の道具は地方の隅々まで持ち込まれて行き、地場産業として
定着して行く。
更に三木市の鍛冶屋には兼業農家も多く存在し、それら要因も
鍛冶屋の成長の大きな要因となって行った。

鏝材料として使用される鋼(ハガネ)は実は工業鋼材の分類では
使用量の少ない特殊鋼の中に分類されている。
もし、数軒程度の受注なら大手製鉄メーカーも作らない鋼だが、
三木市には鏝鍛冶だけに留まらず、鋸(のこぎり)鑿(のみ)
鉋(かんな)メーカー等、建築工具(今や園芸道具も)に
携わる鍛冶屋(メーカー)も多く点在し、独自の流通形態を
構築し、縦・横の繋がりによって、材料の確保を容易に行える
土壌が完成して行く。 ちなみに鋸ではゼットソーや工具では
ミヤナガ、カンザワ等、有名所も三木市が拠点である。

しかし、そんな経緯も昨今は状況を変えつつある。
製造大手は量産を中心に置いているが、鏝に関して言えば、
なかなか量産は容易ではない。 したがって少数精鋭による
生産が主になる。 しかし、ありがたいことに鏝の需要は
決して多いとまで言わずとも安定してくれている。
鋸の様に替刃式が誕生し、更に電動工具化によって、大きく
受容を減少させることも無かったことが、三木鏝鍛冶の
育成へと繋がって行った。それはひとえに左官が技術職で
あり。 日本建築と共に受け継がれてきた技術だからと断言
できる。しかし、如何せん鏝鍛冶の高齢化は止められない。

丁稚奉公から始まり、基礎技術を学ぶことを教えとしてきた、
鍛冶屋は40年代以降、減少しているのが実情である。
システムを構築すれば、量産も可能だろうが、それは
現在のハウスメーカーの住宅同様で、鍛冶屋の親方達は
望もうとしない。 なぜなら、鍛冶屋にとっての生きがいは
聞けば研究開発の日々にあるからだと言う。
それらを積み重ねてこそ鍛冶屋として一人前だと彼らは
口を揃えて言う。 最初から出来て当たり前のことが、
何ひとつ無いのが実は職人の道だからだ。
それは左官業にとっても同様で、昨今の厳しい実情では
維持は愚か、成長なども困難となってきている。

この先、多くの人々がその技術の価値を評価しても、
作り手が失われていたら何の価値も値打ちもない。

過去に久住氏が危惧した、職人・道具・材料、この
三位一体が表現する日本の伝統技術「左官」に少しづつ
だが、歪みが起ころうとしている。 私自身もその
渦中にあり、行く先の不安をぬぐうことは出来ない。
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