*独立百年祭(2)*
そして結局、それから一時間ほど経った後。
シャイアが着替え、髪も美しくくしけずられ、まぶたの腫れもそれほど気にならなくなった頃。
隣の小部屋にメロルとザインを呼んだシャイアは、二人を前にして柔らかな微笑みを顔に浮かべて見せた。
「昨夜は大儀をかけて申し訳なかったわ、ザイン、メロル。
ザイン、迅速に行動してくれてありがとう。おかげで取り返しのつかないことにはならなかったわ。私はまだ、他国の花嫁候補として充分通用する体ですから、心配しないでください。
メロル、昨日は暖かい配慮をありがとう。あなたには本当にいつも迷惑をかけるわね…。感謝しています。二人ともマリエルと同じく、眠っていないのでしょう?心配をかけてごめんなさいね、私、とても大人気なかったわ。反省しています。
…それで、大人としての相談があるのだけれど。」
その静かな話しぶりに、メロルは心が痛んだ。また一つ、姫様はご無理をなさることを覚えられたのだ、と思ったのである。年若い女性が、男に無理強いされそうになって、傷ついていないわけはないのに、とメロルは思う。
ザインは何を考えているのか、その落ちついた表情から伺い知ることはできなかった。
「どんなご相談でしょうか?」
冷静な声で答えを返す。
「単刀直入に言って、これです。この目立つ印のことよ。」
しかし、そう言ってシャイアが首につけられたリシャールの印を指差したのには、さすがのザインも少し面食らった。シャイアは構わずに話を続ける。
「例えばウォン・ハイの密使に対しては、なかなか効力があると思うのよ。いかにも、婚約者らしい仕打ちではなくて?少なくとも、ウォン・ハイが『ラウディニア・アシリッドの姻戚関係は結ばれる可能性が高い』と思うのには充分だわ。ただ、これで列席する他国の大使達は、私との結婚話は一旦引き下げるよう国に伝えるでしょうね。それは今のラウディニアにとってマイナスかしら?どう思いますか、ザイン?」
「いえ、どちらにせよ、シャイア殿下が今回お出ましになられたからには、アシリッドとの婚姻が一番有り得ると諸国に思いこませ、その後彼らがどのような対応に出るか、ということを知るのが我々の役目です。シャイア殿下との婚姻話を引き下げるのか、逆にねじ込むのか、ひいては、マカラに靡くのか拒否するのか。特にサウラムとリムレリアの動きが気になります。また、今はまだ直接接触はありませんが、明日になればアシリッドの別勢力も公式の場に姿を現すでしょう。彼等がどういった対応に出るか、ということも見定める必要があります。
そういった意味では…、今後のラウディニア外交のため、という意味では、リシャール殿下がシャイア殿下に女性としての関心を持たれることは、ラウディニアにとってプラスでこそあれ、マイナスではございません。ただ、リシャール殿下の強引ななさり方に、問題があるのみです。」
ザインはすらすらと澱みなく答えた。正にそれは、昨夜リシャールの私室から出てきたシャイアを見た瞬間にザインが思ったことだったからである。
「それを聞いて安心したわ。では、明日からの式典で、私はあえてこれを隠さないわよ。それでも、構わないわよね?」
「は…。殿下の、お気持ちさえそれでよろしいのであれば。」
ザインは軽く、ほんの微かに目を見張った。
―これが、昨日泣いていた少女と同じ女性なのだろうか?
本当に、シャイア殿下は何でもすぐに乗り越えてしまわれる。さすがはダレン・ヴァウル殿下の妹君だ。
しかし…このままでは、この方を他国に嫁がせるのは、やはり少々危険かもしれない―
「リシャール様がこれをつけたのだもの、その代償は払っていただくわ。私は最大限にこれを利用することにします。せいぜい、婚約者らしい顔でリシャール様の横に寄り添って差し上げるわ。…それも、きっとあの方は面白がるでしょうけれど。でも、リシャール様の…アシリッドの思惑通りにはさせない。戦が起きそうで起きない状況を長引かせたいわ。うまく、ラウディニアの軍事演習と連携させなければ…。演習がどういう予定になっているのか、もう一度細かく教えてくれますか、ザイン?
そして、そうね、あなたの言う通りだわ。アシリッドの別勢力…もちろん、イスターファ王子を擁立しようとしている派閥よね?去年の騒動の後、リシャール様が勢力を盛り返してイスターファ王子派はかなり窮地に立たされたとは聞いているけれど…。何か新しい情報があれば教えてください。ヒルデガーダ王妃殿下のご実家も、なんだかややこしいことになっていらっしゃるようだし、本当に気が抜けないことね。私はどのように振舞うべきかしら。あなたの意見を聞かせて欲しいわ。」
シャイアは凛とした表情でザインを見つめ、その聡明さと美しさにザインとメロルは思わず息を飲んだ。
確かに、この姫なら女性でも充分大使としての役割を果たすことができるだろう。
しかし、この姫はあまりにも、賢明すぎるのではないだろうか…?!
それまでにも、重臣達の間で薄々は感じられていたことではあったが、このアシリッド行きを境に、ザインはもちろんとして、ラナリット公やウルク伯の中にも、シャイアに対する危険信号がはっきりと点滅しはじめることになった。
ラウディニアには既に、ダレン・ヴァウルという名君が存在するのである。
女性とは言え、シャイアの才能はあまりにも際立ちすぎていた。このまま成長すれば、ダレン・ヴァウルに並ぶ王族の一人になるのは間違いない。
だが、同時代・同場所に、二人の名君は必要ない。寧ろ、その存在が派閥を作る悪因となる可能性が強い。
―だからと言って、他国にこの頭脳と才能を渡して良いのだろうか?
―もし、シャイア殿下の嫁ぎ先とラウディニアが戦になったとしたら、この姫は我々にとって、多大な脅威となるのではないか…?
―第一、我々ラウディニア軍が、この姫に弓を引くことが、できるだろうか?
そして、愛する男性と愛する国の板ばさみになり、なんとかその両方を救う手だてはないものか、と必死で考えているシャイア、もともと自己を過小評価する傾向が強く、ひたすら兄と賢明な家臣達を尊敬して育ってきたシャイアが、そのような重臣達の思惑など、気付くはずもなかったのである。
メロルは無意識にではあったが、そんな兄達の思想から守るかのように、何時の間にか少しだけシャイアの方へ身を寄せていた。