*双頭の狼(11)*
そして、次の日である。ラウディニア大使一行がアシリッドに到着して五日目。日付けは4月20日であった。
「乗馬?!乗馬、とおっしゃいましたか、ウルク大将軍?!」
「いかにも、そう申したよ、小モンターニュ伯。もともとは、お主の弟・メロル小隊長が発案したことだ。乗れずとも、馬をご覧になるだけでも、王女殿下のお慰みにはなるのではないかな?」
「それは…確かに一理あります。」
今日は素晴らしく天気の良い日で、気温も高く、アシリッド王妃・フレデガーダより『シャイア姫に少し外の空気を吸わせて差し上げてはどうか』という書簡がラナリット公あてに届いたところであった。ラナリット公と小モンターニュ伯・ザインが、「フレデガーダ殿下をお誘いして、外出を計画した方が良いのでは。」と話していると、ウルクが全く別の提案を投げかけてきたのである。
「フレデガーダ殿下をお誘いした方が良いのかもしれぬが…。それではシャイア殿下はまたお疲れになってしまわれるのではないか?」
「しかしウルク伯、我々は友好親善のために赴いているのだから、こちらだけが別行動で外出するのもどうかと、私は思うがね。」
細面で色白の、文官代表といった風のラナリット公と、その公爵よりも頭一つ分以上背が高く、二倍近い肩幅のある武官代表・ウルク伯が睨み合う形となり、ザインは慌てて折衷案を出した。
「王女殿下はいつも早朝の乗馬を楽しんでいらしたことですし、午前中に軽く馬に乗って、あるいは厩をご見学いただいて、午後から馬車を連ねてフレデガーダ殿下とピクニックに出かけていただくのがよろしいのではないでしょうか。どちらにせよフレデガーダ殿下も色々ご準備なさることがおありでしょうし、厩の方へウルク伯にご同行頂ければ、こちらの準備は我々で整えておきますので。」
もともと仲裁役にはうってつけのザインに柔和な笑顔でそう言われると、お互いいがみ合うのも大人気なく感じられたラナリット・ウルク両名はとりあえず矛を収めた。そうしている間にもザインはてきぱきと指示を出し、シャイアの私室へその知らせが届いたのはそれから10分後、もうすぐ9時になろうかとする時刻であった。
「姫様、お加減はいかがでいらっしゃいますか?」
シャイアはもう横になるほど具合が悪いわけではなく、または具合など悪くなさそうに装っており、今は静かに長椅子に座ってアシリッドの歴史書を読んでいたのだが、心配そうなマリエルに向かってにっこりと微笑んだ。
「大丈夫よ、何回確認すれば安心するのかしら、マリエル?朝起きた時と、朝食の前と後、これで四回目よ。」
「は、はい、すみません何度も同じことを申し上げて…」
「謝ることはないけれど…そんなに心配していては、あなたの方が病気になってしまうわよ。そうしたら私も落ち着いて寝こめなくなってしまうわ。だから、あまり心配しないで。ね?」
透明なシャイアの微笑みを見て、マリエル・ローザ・ミアは一様に心配そうな顔をした。一番気を使っていらっしゃるのは姫様なのに、と三人の顔には書いてある。
「それで、どうしたの?何か書簡が来ていたようだけれど。今日の予定が何か変わったのかしら?」
「はい、もし姫様のお加減がよろしければ、ということなのですが、午後からフレデガーダ王妃殿下様と馬車でお出かけになられてはどうか、と…」
「ラナリット公からね?もちろん、ご一緒させていただくわ。それから?」
その旨を聞いてミアの顔がさっと曇ったが、気づいた者は誰もいなかった。マリエルは引き続き書簡を読み上げる。
「こちらはウルク伯爵がお付きになるとのことで、午前中に、アシリッド自慢の厩をご見学なさってはいかがでしょうか、と…」
「行くわ!」
まだマリエルが言い終わってもいないのに大きく肯定したシャイアを、女官達は驚いてまじまじと見つめた。そのようなシャイアを見るのは久しぶりのことである。
「そ、それでですね…。アブドゥル陛下も是非に、とのことで、どうぞ自慢の馬に乗って欲しい、とのご伝言です。あ、あの、姫様、姫様どちらへ…?!」
「着替えるわ、マリエル!ね、ローザ、私乗馬服なんて持ってきていたかしら?最初、セイリーンが来るはずだった時は用意していたと思うんだけど…。知っている?ミア?」
それはまるで、籠から自由になった小鳥のようでした、とは、後程マリエルがダレン・ヴァウルに伝えた言葉である。それ程シャイアの変わり様は顕著であった。青白かった頬はほんのりと薔薇色になり、伏せられていた目はきらきらと菫色に輝き、頼りなげであった歩みは小鹿のように軽やかになる。女官達は顔を見合わせたが、元気そうなシャイアの様子が嬉しくないはずもなく、三人は先を争ってシャイアが乗馬服を着るのを手伝った。そしてあっと言う間に、ドレス姿よりもかえって女らしく見えるようなシャイアがそこに現れる。シャイアはこの一年間で、乗馬服を着たからといって少年に見えるような体型ではなくなっていたのである。
「なんだか、とっても久しぶりな気がして…。私、変ではありませんか?ウルク大将軍?」
それは以前シャイアがよく着ていたような、白と黒の乗馬服ではなく、薄い砂色のズボンとライラック色の上衣、首には濃い菫色のスカーフ、という上品ないでたちで、その姿を見て目を細めたのはウルクだけではなかった。護衛のレオナルド中隊長、ウルク付きの小姓、アシリッドの護衛兵達、そこに居並ぶもの全てが、シャイアを見て感嘆の溜息をつく。
「とても良くお似合いでいらっしゃいます。やはりご乗馬なさることに決められたのですね?それがよろしいかと思います。シャイア殿下はお元気に飛び回っていらっしゃってこそお美しい。」
「まあ。ウルク伯がそのようなことをおっしゃるなんて思いませんでした。でも、とっても嬉しいわ。素敵なご提案、本当にありがとうございます。」
「いやいや、最初に提案したのはメロルですよ。奴め、まさか自分がお供できないとは思っていなかったでしょうが、今日はラウディニアからは私が一人でお供させていただきます。」
「え、でも…」
「ご心配には及びません。アブドゥル陛下は本日シェン・タオ使節到着予定のため、午前中はいらっしゃらないとのこと。まあアシリッド兵が何人か付くでしょうが、お気になさることはございません。どの馬でもご自由に、との陛下のお言葉ですので、この際甘えられてはいかがですか?」
シャイアの頭には色々なことが駆け巡ったが、ウルクに強引にエスコートされ、そこにいつまでも突っ立っているわけにもいかなくなった。
とりあえず余計なことは考えるのをやめて厩までいってみよう、と決心する。そして厩まで行ってしまうと、もともと馬好きのシャイアが夢中になってしまうだろうことを、ウルクは充分に承知していた。