*双頭の狼(10)*
「お加減は皆心配しているのだが…。頬が薔薇色に見える化粧をしてしまわれたので、実際のお顔の色はよくわからないのだ。お具合が良いはずはないとは思うがな。
私とラナリット公は会議が終わるとすぐ殿下とお話をして、だいたい何が起こったのかは小モンターニュ伯から聞いた。…まあ色々とお話した内容は多岐に渡るが、とにかく殿下のご意向としては、この時期の同盟瓦解だけはなんとしても避けたい、とのことなので、それに基づいて細かい方針を決めた。
その中でお主については、アシリッド王宮を離れる日まで絶対に帯剣を許してはいけないということと、私かメロルが絶えず側にいること、の二つを厳命されたよ。…それでは殿下の周りが手薄になる、と皆散々反対したのだが、殿下は頑としてお聞き入れにならず、結局従わざるを得なくなった。」
「そんな!俺の、いや、私のことなんてどうでもいい、姫のお側にいて差し上げてください!姫にもしものことがあったらどうするのです?!」
「…大きな声を出さなくても良い、我々もそれくらいのことは考えている。
基本的にはお主は私の側で補佐的なことをしてもらう、ということにして、メロルは二日後からはまた殿下のお側に仕えさせる。その方が自然だからな。
そして殿下は、おおまかなことが決まった後もお主のことを随分気にかけていらっしゃったよ…大勢の前で帯剣を禁じられて、カルトスの騎士の誇りはひどく傷ついただろう、とな。
しかし自分付きの女官を遣せばすぐにアシリッド側に知られてしまうだろうから、どうか小姓を一人貸して欲しい、と仰ったので、それなら私が直接様子を見に行きましょう、と申し出たのだ。
王女殿下から、ひどい罰を与えて悪かった、と、つらいだろうが我慢して欲しい、とのご伝言だ。それから、カルトスが具合の悪い自分を守ろうとしてくれたことはよくわかっているし、その気持ちは嬉しく思っている、ありがとう、とな。
我々にも、カルトスが神経過敏になっていたのは、側付きのカルトスに非常な心配をかけてしまった自分のせいなのだから、決して咎めてはいけない、と重ねてご注意があった。
本来なら私からもきつく説教したいところなのだが、そういう訳だから一言だけにしておく。」
「はい…。いくらとがめていただいても構いません。」
「落込んでいる暇はないと言うのに…。カルトス、私が言いたいことはこれだけだ。もっと、大きな男になれ。王女殿下をお守りできるくらいな。」
「はい…!」
「はっきり言って、今王女殿下を全面的にお守りできる力量があるのはダレン・ヴァウル王太子殿下ただお一人のみだ。お主の兄もまだもう一つ力不足、というところだろう。王女殿下をお守りするには相当な力が必要だ…。お主にその気があるなら、王女殿下を全ての面において守って差し上げることが出来る男になるよう努力するが良い。…このままでは、殿下の御身が本当に心配だ。誰かが、支えて差し上げなければ。」
「はい…。私も、そう思います。」
素直に頷くカルトスを見て、ウルクはにっ、と笑顔を作った。
「お主はまだ18歳だ。しかも名門中の名門の生まれで、将来の可能性ならいくらでもある。決して今回のことで気を腐らせたりするんじゃないぞ。…幸い、災い転じて福となったような形で、結果としてはアシリッドとの友好に一役買ったことになるのだから、実際に誰かから咎められたりはしないはずだ。…私が聞きこんだ情報によると、アシリッド兵のお主に対する評価は上がった、という話でもあるし。」
「上がった?私の評価が?…何故ですか?」
「あのような姫なら、守ろうとして当たり前だ、その為にリシャール王太子に刃向かった勇気はたいしたものだ、ということさ。アシリッドは武を重んじる国だし、シャイア王女殿下はあのような御方だから…そうだ、また話し込んでしまったな。お優しい殿下のお心遣いだ、この皿を片付けてしまってくれ。私が戻ってご報告するまでは、きっとお眠りにはならないのだから…。」
「…わかりました、いただきます。」
カルトスは神妙な顔で、まだ湯気の立っている料理を自分の前に引き寄せた。
アシリッドでは羊肉を使った油気の多い料理が主流だが、ここにあるのは数々の野菜が入った消化の良さそうな煮込み料理である。
おそらく食べた後すぐに休めるよう、シャイアが配慮して特別に作らせたものであろう。カルトスは一口一口噛み締めるようにして、ゆっくりとその料理を平らげた。
「食べたら、ゆっくり休め。だがまあ、警戒は怠るなよ。言うまでもないだろうが。」
「はい。気をつけます。…しかし、ウルク大将軍、私のことよりも…」
「心配するな、殿下はわしがお守りする。煩がられるほどお側近くにいて、片時も離れないことにするよ。」
そう言ってウルクはカルトスを横目で見、その露骨に羨ましげな表情を確認してぷっと吹きだした。
「やはりお主は若いわ。…しかしあの殿下に惚れるなという方が難しいだろうからなあ。」
「だ、大将軍!」
カルトスの頬は瞬時に赤く染まった。そして尚も意味ありげな笑みを浮かべているウルクに、むきになって反論する。
「俺、いや、私は別に、そんな大それたことを考えているわけではありません!第一、兄のことはよくご存知でいらっしゃいますでしょう?私は、あのアウラスの弟なのですよ!」
ウルクは返答せず、ただ笑ってカルトスを見つめている。そしておもむろに椅子から立ち上がると、帰る気配を見せ始めた。
「さて。ではそろそろ戻らせてもらおう。殿下にご報告せねばならないからな。」
「はい。あの…もしよろしければ、姫様…王女殿下にご伝言していただけますか?」
「どんなことだ?」
カルトスは少し苦しそうなくらい切なげな表情で、ウルクに訴えかけた。もともと美男子のカルトスである、そのような顔をすると、どのような女でも即座に靡きそうな程の色気が漂った。
「もう何もご心配なさらず、ごゆっくりお休みくださいますよう…そうお伝えください。」
「わかった。…お主も、ゆっくり眠るようにな。」
カルトスは結局自分の想いをどこまで表現してよいかわからず、手短に言葉を切った。ウルクはその大きな手で、カルトスの肩を軽く叩くと、ドアのノブに手をかける。
「大将軍!」
「なんだ、まだ何か言い足りないか、カルトス?」
半ばドアを開けたウルクであったが、もう一度ドアを閉めてカルトスの方へ向き直った。その表情には"猛将"というよりも"慈父"という言葉こそが相応しい。カルトスは軽く小首を傾げ、未だ少年ぽさが色濃く残る顔でウルクに問いを重ねた。
「何故私のような者に、それほどのお気使いをしてくださるのですか?…生意気な物言いをしてすみません、大変感謝しているのですが、その気持ちの大きさと同じくらい、不思議だったものですから。」
真面目なカルトスの表情を見て、ウルクは少し照れくさそうに笑った。
「知っての通り、わしには妻も子供もおらん。しかし、もし息子がいれば、お主のような感じかと思ってな…。お主を見ておると、昔のわしを思い出すのよ。」
「大将軍も、私のような若輩でいらしたのでしょうか?なんだか信じられませんが…。」
「わしの方がもっと、考え無しであったよ。『男は、強ければそれで良い』と思っていたからな。しかしわしも、大多数の男の例に漏れず、ある女性と出会ったことで考えが変わった。その女性をお守りするには、ただがむしゃらな強さだけでは足りぬことに気がついた。…田舎の没落貴族の身で、ここまでやってこれたのはその女性のおかげだ。…おっと、でもこの話は誰にも言わんでくれよ。…他人に話したのは、お主が初めてなのだからな!」
「は、はい、それは、無論…。」
「妻を持ったことのないわしが、そのような話をするのが不思議なのだろう?…ふふ、だからそれは、そういうことよ。わしが想いを懸けた女性は、すでにご結婚なさっていた。単にわしの、片想いというやつだ。…わしに比べれば、お主の方が余程可能性がある。まあ、よくよく考えて行動することだな。軽挙妄動はくれぐれも慎めよ!」
そう言うとウルクは、まだ何か言いたそうなカルトスを手で制して、今度こそドアを開けて部屋から出ていった。一人で取り残されたカルトスは、力が抜けたかのようにベッドに座り込む。
「可能性が…?!可能性が、あるのだろうか、俺には?あの、姫様を…シャイア姫を俺のものにすることが可能だと?まさか!そんなことは有り得ない!…大将軍は一体何ということを言うのだろう。想像しただけで罰があたりそうなのに…想像しないよう、努力してきたというのに!何という酷なことを言うのだ、ラウディニアの守護神、猛将ウルク大将軍ともあろう人が。俺が兄上に背けば、国の一大事に発展するかもしれないと、わからない方ではないだろうに…!」
カルトスは頭を抱えながらも、シャイアの細い腰や、自分の胸に力なく押し当てられた柔らかい頬、抱きしめた時のふくよかな胸、甘く滑らかな唇などを思い出し、その甘美な夢を完全に捨て去ることなど最早出来なくなってしまっていた。
「シャイア姫…。私が、お守りします。きっと、あなたを守れる男になってみせる…。誰にも、あなたを渡したりするものか!…誰にも、渡したくない…。シャイア姫、何故あなたはそんなにも優しく、可愛らしくていらっしゃるのか…!」