*双頭の狼(8)*
リシャールの後ろから穏やかな声がした。その声の持ち主は無論、ザイン・ラ・ヴィタ・モンターニュ、最年少の六人議会議員にして財務官補佐、リシャールとは同い年でもある、ザインであった。リシャールはシャイアの腰に回した腕はそのままにしてザインの方を見る。
「小モンターニュ伯か。貴殿の教育は、あまり行き届いてはおらぬようだな。」
薄い冷笑を浮かべてリシャールが言うと、ザインは重々しくゆっくりとした動作で、王族に対する最高の礼を優雅にしてみせた。
「誠に、お返しする言葉は見つかりませぬ。」
「リシャール様、ザインは…小モンターニュ伯はラウディニアの教育担当官吏ではありませんわ。責はすべて、王女であり今回の正使である私にあります。…カルトス・エル・ジャクバール!」
「はっ!」
カルトスは頭を垂れ、びくっとその肩を震わせた。
「…帰国当日まで、アシリッド宮内で剣を帯びることを禁じます。加えて、私の護衛の任を解きます。そして今日から二日間、北棟から出てはいけません!部屋で謹慎しなさい。…その後はウルク大将軍の管轄下へ入るように。追って大将軍より沙汰があるでしょう。」
「は…御意、承りました…」
「メロル・ディオ・モンターニュ!」
「はい!」
建物の外側、丁度シャイアの寝室の真下あたりを警備していたメロルであったが、報告を受けて慌ててその場に駆けつけてきていた。そこをいきなりシャイアに呼びとめられ、返事はしたものの少し面食らっている様子である。が、シャイアはそんなメロルに厳しい口調で命令を下した。
「同僚を止められなかったあなたも同様に、今から私の護衛の任を解きます。カルトスの隣部屋で二日間謹慎なさい!…ただし、剣は所持して構いません。とりあえず私の護衛はレオナルド・モーリス中隊長に一任します。正式な命令は文書にて本日中に渡します。…皆、命令違反の処罰は覚悟するように。少しでも違反があれば、即刻ラウディニアへ送還し、厳罰に処しますからそのつもりで。」
リシャールは何時の間にか冷笑を浮かべる事を止め、真剣な目でシャイアを見つめた。
「…成る程。お優しい姫であられるな。」
「リシャール様、手をお放しいただけますか…?正式に婚約が成立した後でしたらご自由になさって構いませんが…。今はまだご遠慮ください。」
「欲しければ手続きを踏め、と?私にそう言うのか?シャイア。」
リシャールの目に冷ややかな怒りと侮蔑が入り混じる。シャイアは顔色こそ悪かったが、表情は鮮やかに微笑んだ。
「まさか。私個人の力で漆黒の狼を陥落できると?私がそのように思っているとお考えなのですか?…ご安心ください、そこまで愚かではありませんわ。ただ、ラウディニアの未通姫、ということだけが私の商品価値なのですから、値札を下げなければならなくなるようなことはご遠慮願いたい、という意味です。私の値打ちなど、所詮はその程度。皆それがわかっておりますから、私のことに関しては神経過敏になるのです。でも今回は少々行き過ぎたようですわね。アシリッド王太子のご不興を買うのは本意ではありません。責任者である私から、幾重にもお詫び申し上げます。」
「…お前は予想以上に頭が良いな。」
リシャールは今初めてシャイアに会ったような顔でじっと菫色の目を見つめると、恭しくシャイアの手に作法通りに口付けた。ラウディニア側もアシリッド側もしん、と静まり返っている。意外なことにアシリッドの兵士達の方が、一瞬一瞬を緊張しながら見守っているように見えた。
「…よかろう。今日のことは水に流す。…とにかく早く体調を元に戻してくれ、シャイア。ますますお前とゆっくり話したくなってきたぞ。しばらくは我慢しているから、お目付け役達を説得しておいてくれ。その代わり、と言っては何だが、アシリッド宮で働いている者はお前の好きに使ってくれて構わない。何か薬草が必要なら取りに行かせてもいいし、医師に調合させてもいい。もし外の空気が吸いたければ、女官でも護衛兵でも好きなだけ連れて行け。誰に断る必要もないぞ、話は私が通しておく。だから…」
そこまで言ってリシャールはシャイアの頬をそっと撫でた。
「早く元気になってくれ、シャイア。」
「はい…。ありがとうございます、リシャール様。」
リシャールは微かな笑みを返すと、兵を引き連れてその場から立ち去って行った。アシリッド兵達は驚きを隠せない様子で、時々振り返ってはシャイアの方を盗み見る者もいる。そしてシャイアは間髪を入れず、よく通る声でてきぱきと指示を出した。
「レオナルド、カルトスの剣を預かりなさい。それからカルトスとメロルを部屋へ連れて行って。他の者は持ち場へお戻りなさい、ああ、ザインはここに残って。」
カルトスは死人のような顔色で愛剣をレオナルドへ渡した。シャイアの方を見るどころか、顔も上げられない程意気消沈している。それに比べるとメロルの方は、畏まった風を装ってはいるが目は明るく輝いており、二人は見ようによっては実に対象的であった。
「ザイン、心配をかけましたね…。今日の私の予定は?」
「は、王女殿下はお加減がお悪くていらっしゃるとのことでしたので、ラナリット公らと検討致しました結果、昼の会食と午後の大臣らとの会議はキャンセルさせていただき、国王陛下並びに王妃殿下とのご夕食のみおいでになっていただく予定にさせていただいております。現在ラナリット公、ウルク伯は会議に出席中でありますが…王女殿下はいかがなさいますか?」
「…主に、街道を広げる工事についての会議だったわね?それは二人に任せます、後ほど報告を聞くわ。会議が終わり次第、こちらへ来るよう伝えてください。」
「御意。」
「…他にも話さなくてはならないことがたくさんあるわ…会議は何時頃終わる予定?」
「予定では16時ですから…あと一時間後ですね。長引く可能性もありますが。」
「そう…では、一時間後…いえ、あなたは30分後に、もう一度ここに来てください。」
「畏まりました。」
「マリエル?」
「はい!はい、姫様!」
非常に心配そうに後ろで見守っていたマリエルが急いでやってきた。シャイアはひどく優しい笑みをマリエルに向ける。
「ごめんね、言うことを聞かなくて。心配させてしまったわね。でも、マリエル…」
シャイアは言いにくそうな顔をしたが、すぐにきっぱりと口にした。
「お願い、30分だけ一人にして。誰も部屋の中に入らないで。…お願いだから。」