*双頭の狼(5)*
「軍事修練をするとの旨、知らせがあったぞ。ウォン・ハイに対する牽制とのことだが、一体何を牽制するつもりなのだろうな、ダレン・ヴァウル殿は。」
こちらはアシリッド、日にちは少しさかのぼって、4月の18日である。
ラウディニア使節がアシリッド宮に到着して3日目の午後。約束通りリシャールと過ごすべく、シャイアは南宮の一室で午後のお茶を飲んでいた。リシャールの横には側室のマリサがおり、シャイアの隣にはザインが立っている。もちろん、扉の向こうにはメロルとカルトスが控えていた。今日は格別予定はなく、この時間ラナリット公とウルク伯はアル・ハーンと共に宮中散策をしているようであった。
「それはもちろん、大事な独立祭式典を妨害されないように、ということだと思いますけれど?」
無邪気にシャイアが答えると、リシャールは冷笑を返した。
「それはご親切なことだ。」
「…兄の、聖婚の儀の時も危ない目にお会いになったではありませんか。…いろいろと、危険はありますから。」
「いろいろと、な。」
「その後、何事もありませんでしたか?」
「心配してくれているのか?それはよかった、一年の間にすっかり嫌われたのかと思って気が気ではなかったぞ、シャイア。」
リシャールの言葉に、傍らのマリサの目が鋭くなった。マリサはシャイアより2〜3歳は年上であろうかと思われる黒目黒髪の美女で、5人の正式な側室達の中で最も顔立ちが整っており、リシャールの寵愛も深いようであった。
「嫌うなどと…。リシャール様こそこのような美しい方々に囲まれて、何不自由なくお過ごしでいらっしゃるのでしょう。私の顔を覚えていらっしゃったかどうかも怪しいものですわ。」
「忘れるものか。…マリサ、少し席を外せ。」
一言も文句を言わず、マリサは立ちあがり、扉へと向かった。しかしシャイアの方にナイフのような一瞥を投げることだけは果たしてから、静かに部屋の外へと出て行く。
「小モンターニュ伯は、そこを動いてはくれないのだろうな。できればシャイアと二人で話がしたいのだが。」
「失礼とは存じますが。例えリシャール殿下とはいえ、まだ正式なご婚約をされていない男性と、シャイア王女を二人きりにして差し上げることは役目上できかねます。」
「ふん。そう言うだろうとは思った。まあいい、ではせめて、余計な口は挟まないでほしいな。
シャイア、側室のことで不愉快な思いをしているのなら謝るぞ。しかしこれも、政策の一つだ…。お前ならわかってくれると思うが、特にアシリッドでは謀反を防ぐため、貴族らと血縁を結んでおくことは必要不可欠だ。私には兄弟も姉妹もいないから、結果としてこういうことになった。だが、気に入ったから側に置いているわけではないぞ。それだけはわかってほしい。」
真摯な表情で言うリシャールに向かって、シャイアはにっこりと微笑んだ。
「わかっています、私は不愉快な思いなどしていませんからご安心ください。そのようなこともわからない子供ではありませんから。今後どのような展開になるにせよ、ご側室のことで私がリシャール様をお恨みするようなことはありません。第一、女性の方が放ってはおかれませんでしょうから、周りに女性が大勢いらっしゃるのはむしろ自然なことだと思います。」
その言葉を聞いてリシャールは露骨に面白くなさそうな顔をした。
「お前は、一年で物言いが冷たくなったな。」
「いつまでも子供ではいられないのですもの。…あの時のシャイアは、もうどこにもいないのです。」
リシャールは、探るような目つきでシャイアを凝視した。
「私も変わったが。お前も、変わったな。」
「はい。私も、同じように思います。リシャール様もお変わりになられました。でも時が流れたのですから、仕方のないことですわ。」
「…どのように私が変わったと思うのだ?」
リシャールは冷ややかな目でシャイアを見た。シャイアは少しうつむき加減で答える。
「言葉で表すのは難しいですけれども…。今のリシャール様の方が堂々としていらっしゃいます。去年よりも、王になられる御方としての風格が増してこられたように思います。」
「去年のような目で見てはくれないのだな…。」
深く、ほんの微かに甘さの混じった声でリシャールは訴えた。それを聞いてシャイアの頬は知らず知らず紅潮する。
「私も…王女としての自覚が増したのです。」
「成る程な。…よし、もう解放しようシャイア。先刻から小モンターニュ伯が凄い目で睨みつけているからな。また明日の午後にでも話をしよう。
…ああ、シャイア、もう一つだけ言っても良いか?」
「もちろんです。何でしょうか?」
「お前は私の側室を見ても何とも思わないかもしれないが…。私はどうやらかなり嫉妬深い性格であるらしい。去年ようやくそれがわかったのだ、それまでは嫉妬などしたこともなかったのだがな…。それをよく、覚えておいてくれ。」
そう言うとリシャールは、軽い挨拶を残して部屋から出て行った。シャイアはそのままの姿勢で椅子に座り込んでいる。しばらくはシャイアの出方をじっと待っていたザインであったが、あまりにも長い間何も言葉を発さないのを不審に思い、前方に周りこむようにしてシャイアの顔を覗き込んだ。そしてその小さな顔が色を失って、華奢な肩は震えてさえいるのを見て仰天する。
「姫様!?ご気分がお悪いのですね?!気づかずに大変失礼を致しました!メロル、カルトス!こっちへ来てくれ、姫様が大変だ!」
ザインに知られては仕方がない、とシャイアは観念した様子で、成り行きに身を任せた。さすがに抱きかかえると目だって仕方がないので、メロルが横から支えるようにして、シャイアを自室へと連れて行く。シャイアは無言のままぐったりとベッドに横になった。女官長にして女医の資格も持つマリエルが慌ててやって来て、まずカルトスを睨みつける。
「やはりお具合が悪くていらっしゃるではありませんか!だから一昨日に申し上げましたのに!」
「やめて、マリエル…。私がカルトスに、嘘をついてって、頼んだの…。カルトスは悪くないのよ、ごめんなさい、私が…」
「姫様!お話になってはいけませんわ!」
喘ぎ喘ぎ話そうとするシャイアに、マリエルは向き直る。カルトスは心配でたまらない様子でシャイアを見つめているが、それを見るザインの視線は厳しい。
「ザイン…ザイン、いるの?」
「はい、姫様!」
「聞こえた、のね…。ごめんなさい、私一昨日も気分が悪かったのだけれど、カルトスに口止めをしたの…。彼のせいではないから、咎めたりしないで…。」
「姫様、そのようなことはお気になさらず、どうかお眠りになってください。あまりお話になってはいけません。」
「でも…」
「畏まりました、カルトスを責めたりは致しませんから、どうかご安心を…」
「お願いよ…。カルトスは、悪くないの…。」
そう言ってシャイアは目を閉じた。もう言葉を続けられなくなった様子である。マリエルはきっぱりと宣言した。
「殿方はご退室ください、後程ミアかローザがご報告に伺います。姫様にはもう少し楽なお召し物に着替えていただきますので、今すぐ退出してください!」