*ラウディニアの憂鬱(4)*
「理由を聞いても良いか?」
ダレン・ヴァウルの問いかけに、一呼吸置いてからシャイアは答えた。
「…不安、だからです。」
その言葉を聞いて、アウラスは体中が怒りのあまりかっと熱くなるのを感じた。
白くほっそりとした首、ドレスの襟ぐりからのぞく綺麗な鎖骨、触れるのをためらうくらい華奢な肩、驚くほどくびれている細いウエスト。そんなシャイアの様子は彼にとって、今まで以上に保護意識をそそられるものとなっていた。このはかなげな姫君に、なんという無理難題をふっかけるのか、と、アウラスは国王カザル2世にも、また王太子ダレン・ヴァウルにも、等しく怒りをつのらせてしまう。
―不安に、決まっているではないか。
同盟国とはいえ、いつその絆を断ち切るかわからない状態の異国へ、しかも初めて訪れるというのに大使として赴かねばならず、その上この訪問はほとんど嫁入りと同じようなものなのだから。
もしアシリッド側がその気なら、そのまま婚礼の手はずが整えられても良い、と言わんばかりの状況だ。
何故だ?アシリッドの同盟離反を回避するため?陛下はただそれだけの為に、愛娘を餌にするおつもりなのか?!
しかも、あの国にはリシャールがいる。この前は体調が悪かったようだが、あの色好みだと噂される男が、この姫を見て手を出さない訳がない。
一体、王家は、私を…ジャクバール家を、何だと思っているのだ?! ―
「…ジャクバール公爵が来てくださったら、一番良いのですけれども…」
怒りに身をまかせていたアウラスは、急に父の名が耳に飛び込んできてふと我に帰った。シャイアが真剣な表情でダレン・ヴァウルの問いに答えている。どうやら、随身は誰が適任と思うか、ということらしい。
「『けれども』何だ?」
「ウルク伯爵は当然いらっしゃるでしょう?アシリッド外交に欠かせない、と言われる方ですもの。
そこにジャクバール公爵が加わると、わが国の文武の最高官僚が共に揃ってしまいます。
自分のことも含まれていますが、覚悟はできていますからこの際はっきり申し上げます。
現在、対アシリッドの状況は、かなり切迫したものなのでしょう?
最悪、本当に最悪の場合、そのまま人質にとられる可能性もあるのではないかしら?そこまで考えたとすれば、お二人が揃ってしまうのは良くないわ。
武人であるウルク伯はまだしも、ジャクバール公は御身が心配です。」
「馬鹿な!ではシャイア姫はどうなるのです?!」
思わずアウラスは口に出してしまう。シャイアは柔らかく微笑んだ。
「私が行けば、アシリッドは油断するでしょう。『ラウディニアは懐柔策を取ろうとしている』と思わせるのに、私以上の適任はいないわ。そうでしょう、ザイン?」
「それは確かに、姫君以上の方はいらっしゃいません。しかし、ご安心ください、今のところまだそこまで事態は切迫しておりません。
第一、それ程危険な所へ、王太子殿下が姫君をお遣わせになられるとお思いですか?」
「危険な所へ行くのは王族として当然の義務です。そう教えてくださったのは兄上…王太子殿下ですもの。
私は、平気です。はっきり言ってくれていいのよ、ザイン。
私にだって、同盟が瓦解すれば取り返しのつかないことになる、と思うくらいの頭はありますわ。」
「姫君、」
「待て、ザイン。…シャイア、あまりザインを困らせるな。別にザインが考えて決めたことではないのだから。」
「あ…。ごめんなさいザイン、私そんなつもりであなたに言ったのではないの。」
「わかっております、姫君。」
シャイアは顔を赤らめて口をつぐんだ。いつの間にか“ダレン・ヴァウルの懐刀”ザインに対して自らの不安をぶつけていたことに気がついたのである。ダレン・ヴァウルはそんなシャイアを温かさと厳しさの入り混じった目で強く見つめる。
「シャイア、そこまで覚悟ができているなら話が早い。今回お前に望むことは、アシリッドに気に入られることと、その上で結婚話をうまく断ってくることだ。」
「え?」
これには、シャイアと共にアウラスもきょとんとした表情を顔に浮かばせた。ザインは一人、「さすがですね。」と口の中だけで独りごちる。
「何を驚いている?そのままリシャールの嫁になるつもりだったのか、お前は?」
微笑みながらダレン・ヴァウルは妹の頭を軽く小突いた。シャイアは訳がわからない、という顔のまま、不思議そうに兄を見返した。
「では、きっぱりお断りして…」
「違う違う、『うまく』断れと言ったろう?悪い印象を与えてはいけない。しかし、言いなりになってもいけない。それはわかるな?」
「はい、兄、殿下。」
「良いかシャイア、お前にはまだまだ縁談話がたくさんある。ふさわしい相手はリシャールだけではないのだ。それを十分、アシリッドにわからせてきてくれなければ困る。お前が欲しければ、それ相応の態度で示してもらわなければならない。人質などもってのほかだ。ラウディニアがその様な甘い国ではないことを、身を持ってわからせてやってほしい。
今回お前はアシリッドの花嫁候補として行くのではなく、ラウディニア大使として赴くのだ。
そこをよく理解して欲しい。私も陛下も、お前に期待している。」
そこでダレン・ヴァウルは、厳しい王太子の顔から優しい兄の顔になって妹に微笑みかけた。
「大丈夫だ、心配するな。このザインも行くし、メロルにはお前から決して離れるなと命じておく。だいたい、あの常勝将軍ウルクがついているというのに、何を恐れることがある?お前は堂々としていれば良いのだ。なんでも疑ってかかるのは王族だから当然のこととはいえ、私達のことももう少し信用してくれ。人質になどさせるものか。私を信じろ、シャイア。」
シャイアは、力強い兄の言葉に微笑みを返した。しかしこの時、シャイアは既に、少女の頃の…ダレン・ヴァウルが結婚する前のシャイアではない。つかの間ではあったが彼女は恋を知り、兄よりも大切な人を知ってしまったのだ。シャイアが恐れているのは、信じていないのは、決してダレン・ヴァウルでも周りのどんな人間でもなく、自分自身であった。
―私は、本当に…リシャール様にお会いして、平静でいることができるのだろうか…。ご側室に囲まれたあの方の前で、ラウディニア王女らしく堂々と振舞うことができるだろうか…―
本当はリシャールに会いたい、という気持ちをシャイアは懸命に押し殺していた。未だ婚約が解消されていないことに安堵して良いのかどうか、彼女にはわからない。…それは単にアシリッドの意志であるのだろう、とシャイアは考えていた。何故ならリシャール本人は、「解消したい」と言っていたのだから。
―きっと、あの方は私に来て欲しくない、と思っていらっしゃるに違いないわ…―
今も尚、シャイアの心をえぐるリシャールの言葉、
『シャイアをアシリッドに迎えたくない。』
と言ったリシャールの言葉が、氷の塊のようにシャイアの心を冷やしている。
そして先刻のダレン・ヴァウルの命令は、彼女の背負う荷物が更に重いことを知らせる布告であった。
シャイアは誰にも気付かれないようそっとため息をつくしかなかったのである。