*聖婚の儀(4)*
「「何か」ではありませんわ!終始私のことをバカにしてらしたくせに!あの頃は私言葉を知りませんでしたけど、今はもう知っていますからよくお聞きあそばせ。リシャールお兄様のような御方のことを、世の中では"陰険"というのですっ!!」
メロルはもう少しで剣を落とすところだった。捕虜となった大臣までが、眼を丸くしてシャイアの方を見ている。しかし誰もが驚いたことに、リシャールは怒った様子を見せなかった。のみならず、高らかに笑い出したのである。そしてシャイアはますます顔を赤くした。
「笑い事ではありません!そうやっていつも、私の言う事を冗談扱いなさって…。リシャールお兄様なんか大嫌いです!!…お兄様じゃありません、リシャール様、お兄様なんてよんであげませんっ!!」
シャイアはまるで子供時代に戻ったかのように真っ赤になって怒り、リシャールはそんなシャイアを見て笑みを隠しきることができなかった。
「失礼…。笑い事だと思っているわけではありません。あまりにも新鮮なご意見だったので、楽しくなってしまったのですよ。陰険、と…確かに、そうですね。率直に言っていただいて、ありがとうございます。」
そう言いながらも、リシャールは必死に笑いをこらえている様子だった。シャイアは完全にふくれかえっている。もうすでに近衛兵が二人到着していたのだが、この異常な光景にどう対処してよいのかわからず、少し離れた所で命令を待っている。なにしろ、式典の重要人物であるはずの自国の王女と同盟国の王子が、こんなところでなにやら言い争っており、同盟国の大臣に向かって自国の近衛仕官が剣をつきつけているのだ。彼らが躊躇したのも無理からぬことであろう。
「リシャール様、近衛兵が参りましてよ。もうメロルを開放していただいてよろしいかしら?私こんなところにいつまでもいたくありませんわ。」
「これはすみませんでした。メロル殿、とおっしゃるのか。いやな役をおしつけて申し訳無かった。姫君、ボナディ大臣を連行したいのですが、近衛兵をお借りしてもよろしいですか?」
「そのために呼んだんじゃありませんか!メロル、指示を。」
メロルは少し混乱していたが、とにかく兵に大臣の身柄を引き渡し、自分の剣を鞘におさめた。リシャールの印象が戦場でのそれとあまりにもかけ離れていたため、一体ここにいる王子はあの"漆黒の狼"と同一人物なのだろうか、とふと考え込んでしまったのである。そんなことを思いながらリシャールの方を見て、メロルははっとした。狩場の方角から駆けてくる人馬の一団を見つめる王子の目は、正に"狼"そのものであったのだ。
「殿下!王太子殿下、お怪我はございませんか?!」
それはアシリッドの第一大臣アル・ハーンとその側近達、加えてリシャール王子の側近達であった。彼らが来たとたん、それまで一言も口をきかなかったボナディ大臣が低い声で話しだしたので、ラウディニア勢は全員はっとしてボナディを凝視した。
「アル・ハーンめ…汚い奴だ。もうラウディニアと打ち合わせができていたのだろう?!私を泳がせおって…。このままですむと思うなよ。お前達が大きな顔をしていられるのも、この王子が、あの…」
「ボナディ、口を慎め。」
リシャールは短くそう言うと、いつ拾い上げたものか先ほどの小剣をボナディの眼前に突きつけた。全身から殺気が漲っており、メロルでさえ背筋が寒くなる程の冷たい目をしている。
「姫の御前でなければ切り捨てているところだ。ラウディニアと打ち合わせだと?バカを言え、姫がたまたまいらっしゃらなければお前はもう命がなかったのだぞ。せいぜい、牢獄でラウディニアに感謝するがいい。…アル・ハーン、姫君から兵をお借りした。一緒に行って、ボナディをどこかに拘束しろ。陛下には私からご報告する。それから、本国に早馬を手配しておけ。以上だ。」
「…御意、承りました。」
一同が蹄の音と共に遠ざかっていき、後にはリシャールとシャイア、メロルだけが残された。メロルがシャイアの方を伺うと、彼が思った通り、シャイアは泣きそうな顔で馬上立ち尽くしている。
「姫様…大丈夫ですか?」
「すみません、姫、恐がらせてしまいましたね。申し訳ありませんでした。」
メロルとリシャールがそう言っても、シャイアは自分の前方を見つめたまま動かない。男二人は、思わず顔を見合わせた。
「…帰る。」
しばらくして、シャイアはやっとそう言うと、いきなり馬を走らせた。
「姫様。」
メロルが後を追い、リシャールもそのすぐ後に続く。
「これでまた更に嫌われてしまったな。」
リシャールがそうつぶやくのを聞いて、メロルはほんの少し顔を綻ばせた。
「姫様にはショックだったと思います。弓矢や馬術では並の男顔負けの腕をご披露なさるし、ご自分でも戦いに行けるくらいに思っていらっしゃったようですが、基本的に大変お優しい姫君であらせられるので…もちろん、誰かが殺されるところをご覧になったことなどおありではないですし。でも、口でおっしゃるほど、リシャール様をお嫌いなわけではいらっしゃらないと思いますよ。なんといっても、まだ御年15歳でいらして、周りに私くらいしか年の近い男もおりませぬし…どういう態度をリシャール様にとればいいのか、わからないご様子とお見受けしています。」
リシャールは驚いた顔で改めてメロルの方を見た。
「もう、シャイア姫に仕えてから長いのか?」
「いえ、まだ一年足らずです。…姫様と比べるのは畏れ多いのですが、私には妹が三人おりまして…。なんとなく、姫様のお考えになっていることはわかります。あ、いえ、でもすべてという訳には…。姫様は大変、想像力豊かなお方でいらっしゃいますから、次にいったい何をなさるか、というようなことは予測しかねます。」
「なるほど。メロル殿もなかなか気苦労が絶えぬようだな…。そうか、一年前、ということは、ガスパの後からか。メロル殿…聞き覚えがあるとは思ったが、君はモンターニュ伯爵のご子息か?ガスパの戦いでウォン・ハイのリュウ隊長の首級をあげられた?」
「"漆黒の狼"に覚えていていただいて光栄です、リシャール王太子殿下。私の手柄など、殿下のご武勲に比べたら、児戯に等しいものですが。」
メロルは少し紅潮した顔で答えた。リシャールも急にうちとけた様子で、やや肩の力を抜いたようであった。
「何を言う。たしか、去年はまだ15歳だったのであろう?私など、17歳でやっと初陣だ。たいしたことはない。それにしても、こんなところでガスパ第一の功績者に会えるとは思っていなかった。では、あれから姫君の側近になられたのか。」
「こ、功績者などと、もったいないお言葉…。私はたまたま運が良かったのです。その後もいろいろと良いように事態が進みまして、姫様のお付きをさせていただく身となりました。国王陛下、王太子殿下には本当に感謝しております。」
「ラウディニアは良い国だな。」
「はい…。と申しましても、私は田舎者ですので、生まれ故郷とこの王都しか知りませぬ。アシリッドも繁栄した素晴らしいところだとはお聞きしておりますが、私のような者には想像もつきません。」
急にラウディニアの話になり、少し面食らったメロルは自国を誉めていいものか、謙るべきか一瞬悩んだ。そうして思わず視線を泳がせたところ、うまく突破口を見つけてシャイアに声をかけることにした。自分の側近が自分そっちのけで嫌いな相手と話し込んでいることに、シャイアは一目見てわかる程むくれていたのである。"漆黒の狼"とつっこんだ話をするよりは、シャイアのご機嫌をとる方がメロルにとってはるかに楽だった。なんといってもリシャールは同盟国の第一王位後継者なのだ。
「姫様!もう少しごゆっくり走ってくださらないと。追いつけなくなってしまいます!」
「私のせいにするな!メロルがしゃべってばかりいて遅いからではないか!」
「申し訳ありません、ですが、姫様をお一人でお帰しするわけには参りませんので…。」
シャイアはつんとして前を向いていたが、馬脚は少し遅くした。そういう素直さが、メロル以下宮中の人間にはとても評判が良く、少々我侭を言われてもなんとなく許してしまうのだ。
そんなシャイアを怒れるのは、彼女自身言っている通り、兄の王太子ダレン・ヴァウルと、お目付け役とでもいうべき存在の近衛隊副隊長にして大貴族ジャクバール公爵の総領息子、アウラス・リド・ジャクバールの二人だけだった。
アウラスはダレン・ヴァウルと同じ25歳で、未だ妻帯していない。宮中の口さがない向きの噂では、「国王は愛娘を他国に嫁がせることを嫌がっており、実はアウラスと結婚させたいのだが、国と国との話であるため、現在のところアシリッドの出方を見ているのだ。」などと言われている。アウラスはその噂を知っているのか、あるいは本当にそのような話が国王から出たのか、メロルのような新参者から見ても、「アウラス様は、シャイア姫をお慕いしていらっしゃるようだ。」と思われるような言動が多々ある。当然、シャイアがリシャールと共に帰ってきたらおもしろくないであろう。
「やれやれ。下手をすると私はお役ご免かもしれないな…。」
メロルはため息をつき、リシャールはそんな彼をちらっと見たが、何も言わなかった。
そして彼等はようやく狩場付近に戻ってきた。
草原から山岳部へさしかかろうとする丘陵地帯が、ラウディニアの中心部である。牧歌的な農村の風景を草原からも見晴るかすことができるが、ふと目線を上げると、後方の黒々とした岩肌に纏いつくような形で、堅牢な石造りの城壁が物々しく聳え立っているのが見える。更に目をこらすと、幾重にも連なるその壁の先に、城と言うよりは要塞と言ったほうが相応しい、無骨な王城がその頭を覗かせているのがわかるだろう。今は、春の陽射しを浴びてその厳めしい姿も幾分優しげに見えるが、北の山から吹雪が吹き荒れる季節のラウディニア王城は、その中に美しい人々が住んでいるとわかっていてさえ、まるで魔王の宮殿であるかのような近づき難い暗鬱な印象のものとなる。
しかし現ラウディニア王・カザル二世は、もちろん魔王ではなく−それどころか、建国以来最も善良な王様として、国民から非常に愛されている。また、ラウディニアという国そのものからも愛されているのかもしれなかった。カザル二世の治世において、天変地異や異常気象というものはほとんどなく、またラウディニア国内で戦が起こるということも全くなかったのだから。
隣国アシリッドの王太子・リシャールは、鷹狩が始まった時よりも数倍警備が厳重になっている狩場から少し離れて、全ての儀式が終わるのを静かに待っていた。事の次第を報告すべく、カザル二世へ謁見を求める文書は既に届いているはずであり、今は待つ以外に何もすることがなかったのである。そして、この思いがけない空白の時間を彼はそれなりに楽しんでいた。 友好親善のためとはいえ、隣国王太子の結婚式への列席は非常に気疲れするものであったし、また、彼が立太子していることに反対する派閥が、いつ何時命を狙って来るかわからない状況、とあれば尚更である。誰が敵か味方かわからない緊張の中で、彼の面前ではっきりとその意志を表明したのは、ただ一人・シャイアくらいのものであったのだ。
それを思い出して、リシャールの表情はいつもより少しだけ柔らかくなった。