*初恋(15)*
ラウディニア王宮内で一番大きな建物・白亜宮は、今期待と興奮の坩堝のただ中にあった。磨き上げた白大理石だけで造られたその宮は、他国の瀟洒な迎賓館に比べると随分重々しく、堅苦しく、古めかしい建物であるが、それだけに威風堂々としてもいるし、浮ついたところがなく頼もしく重厚で、尚且つ暖かい印象がある。―まるでラウディニア人のように―という表現は、もし幾分皮肉混じりの言動であったにせよ、それを聞いた当のラウディニア人達は自尊心を大いに満足させるのが常である。
その、謹厳実直な国民性を体現しているかのような白亜宮が、今日は大勢の人々を飲み込んで自ら大いに浮かれ騒いでいるように見えるのは、そこにいる人間達の興奮が、建物にまで伝播しているからに違いなかった。今夜はいよいよ最後の大舞踏会、近隣諸国の王族や貴族達が、このラウディニアの晴れやかな式典において公に言葉を交わすことができる最終のイベントである。近隣諸国から集まった人々は、それぞれの思惑を少しでも実りに近づけんがため、虎視眈々と状況を見守っていた。
ラウディニア王都エルファは、地理的にこの辺りでは一番北の都市である。その更に北にはタスカ大山脈があり、少数の人々が暮らしてはいるが軍を持つ国家は存在しない…あるいは、存在しないとされている。つまり、現在認知されている、軍隊を保有する国家の中で、最北に位置するのがラウディニアなのであった。
ラウディニアの東の一部は海に面し、小船しか通れないような入り組んだ遠浅の海岸が延々と続いている。そのまま海岸線に沿って南下して行くと、大陸を縁取るような細長い形の国、そしてその国土の半分が海に面している国、南ベルニカの北端とぶつかることになる。ここまで来ると海は途端にその表情を変え、ラウディニア海岸沖のような―船乗りに言わせると“根性の悪い魔物のような”―複雑極まる潮の流れはぴたりと治まる。だからこそベルニカでは、帆船がその優美な姿を休めるに相応しい良港がいくらでも作れたのであった。
ややこしいことに、ラウディニア海岸を北上していくと、またベルニカ―今度は東ベルニカ―の西端にぶつかることになる。ベルニカはラウディニアに中心を分断されているような形で、湾に沿って南ベルニカと東ベルニカに分かれているのである。しかし各々が別々の国家として確立しているわけではなく、東ベルニカは完全なる海軍基地、ベルニカ東部基地であった。軍の管轄下ではない例外事項として、ラウディニア・リムレリア間の貿易だけは、この東ベルニカを中継して行われている。
更に、ベルニカ沖にはシーモア島があり、聳え立つベルニカ・ラウディニア合同の海軍基地が、海からの進入者を容赦なく拒み続けている。 といっても実質的にはこの基地はベルニカのもので、ラウディニアは資金を出してベルニカ海軍に守ってもらっているに過ぎないのであるが。
そしてラウディニアは西部、タスカ山脈がとぎれる地でウォン・ハイと国境を接し、また南西部ではアシリッドと国境を接する。ウォン・ハイとの国交は断絶状態なのでもちろん列席者はいないが、ウォン・ハイをはさんで更に西、小国フレイラとシェン・タオからは大使として大臣が列席している。
またラウディニアの真南、南ベルニカの南西、アシリッドの東にある最近急に勢力を伸ばしてきた国・サウラムからは、莫大な数の祝いの品とともに、王自らと9歳の王太子とが列席していた。
この王太子ファシルも、シャイアを王妃に望んでいる…というよりも、王ジャウドがそう望んでいた。
サウラムは二つの国を併合してできた新国家で、人種的にはアシリッドに近いこの国は現在マカラとも国交を結びたがっており、三国同盟にとっては要注意国であった。
リムレリア、そしてチャウリー、エディラ、ショウランといった国々からも王族達が列席している。これらは、東ベルニカよりも東または東南に位置する小国であり、常に大国マカラの圧迫を意識していたため、三国同盟の筆頭であるラウディニアとは縁を深めたい意向が強いようである―少なくとも、今現在の情勢では。
東の四国の中で一番勢力が大きいのはリムレリアで、王子カルロはシャイア姫を我が妻に、と名乗りをあげている一人でもあった。リムレリアは東ベルニカのすぐ東隣に位置し、その隣国であるラウディニアとの通商も盛んに行なわれている。ダレン・ヴァウルは少年時代にこの国に遊学したことがあり、カルロとも面識があった。ラウディニア・リムレリア間の和平は持続的に結ばれており、互いにとって『裏切ることはマイナス面ばかりで、プラスになることはまずあり得ない』とされる友好国である。
もともとラウディニア・ベルニカ・リムレリアの三国は、祖先をほぼ同じくする近い民族なのである。この金髪で白い肌の民は、各々の歴史書によって二、三千年前とも二、三百年前とも言われるが、いずれにせよずっと西方から移動してきた民族の末裔であることは確かなようであった。 先住していたのはウォン・ハイやシェン・タオ、チャウリー人らの祖先とアシリッドやサウラム人らの祖先で、皆黒髪に黒い目、やや吊りあがった目じりの、鋭い顔をした人々である。
しかし先住民族とは言え、それら全ての国が太古から今のような大きさで存在していたわけではない。国として最も古い歴史を持つのはこの辺りではアシリッドである。だがこのアシリッドは、国暦の中で百年以上もの長きに渡り、今はないキンロン王国に隷属させられていた時期があったのである。
そのキンロンの残党がウォン・ハイであり、巨大国家であったキンロンを打ち破って国を建てたラウディニアと、そのラウディニアと手を結んで独立したアシリッドに対するウォン・ハイの恨みは相当に深いものがある。
キンロンが滅んでからは民族がバラバラになり、互いに小競り合いを繰り返していたのが二十年程前にウォン・ハイが急に台頭し始め、今や周辺国家の脅威の的となった。
キンロン王国の領土復元、を合言葉に、隙あらば戦をし掛けようと常に機会を窺っている。
このウォン・ハイに加え、ベルニカから内海をはさんで遥か東南方向に対峙する大国・マカラが今後どう動くのか。 西にウォン・ハイ、南東にマカラ、という二つの仮想敵国を想定するラウディニアにとって、アシリッドとベルニカとの三国同盟継続は、少なくとも今現在は最優先の外交事項となっている。だからこそ、直系王族のただ一人の男子未婚者であったダレン・ヴァウルがベルニカの姫を娶り、またその妹であるシャイアにアシリッドとの縁談話が持ち上がるのである。
しかしそのラウディニアは、鉄の産出とその通商、更にタスカ山脈から引かれた水道の網羅により栄えた農業とで、並ぶもののない経済大国でもあった。しかも猛将ウルク大将軍率いるラウディニア軍は負け知らずで、国旗に羽を広げる"黄金の鷹"は今も尚飛翔を続けるばかりである。
その、あまりにも実りきった果実、誰もが羨む富の宝庫、美しく力強いラウディニアを欲するのは、ベルニカとアシリッドの二国だけではなかったのもまた、覆しようのない事実であった。
『あの娘を手に入れれば、シャイアそのものに加えて多大なる付加価値がついてくるのだからな。』
―その、先日のニコラウスの言葉をシャイアは直接聞いてはいなかったが、まるで同じ台詞が周り中の視線から乱射されているような思いを、この舞踏会では特に強く感じることとなるのである―