*初恋(11)*
そしてこちらは、ようやくリリアンヌの部屋へたどり着いたシャイアである。女官達を隣の部屋に下がらせたリリアンヌは、この機会に義妹との二人きりの会話を楽しもう、と、シャイアを隣に座らせて仲良くお茶を飲んでいた。その他愛ない話の中で、ふとダレン・ヴァウルのことが話題に上る。
「それにしても、殿下とシャイア姫は本当に仲がよろしいのね。私ちょっと妬けてしまうわ。」
「なにをおっしゃいます。リリアンヌ様は王太子殿下最愛の方でいらっしゃるのに。…私があまりにも愚かなので、殿下は兄として見るに見かねていらっしゃるのです。」
シャイアは、儚げに優しく微笑んでいる義姉に向かって真剣な目で答えた。
見れば見るほどお美しい方だ、とシャイアは思う。リリアンヌはまるで日光にあたると溶けてしまう雪の精のような、淑やかでたおやかな女性で、そういうタイプの美女をラウディニアでは"ベルニカの人魚"と呼ぶ。
ダレン・ヴァウルとシャイアの母ディアナもその典型で、「あの王妃様は海の王様の娘で、カザル様の元に嫁がれるために遠い海の底からいらっしゃったのだよ。」と言えば子供達は皆本気にしたものだ。 ベルニカの女性にはなんとなくそういった、神話めいた尋常ならざる美しさがある。
ただでさえ脆く儚いイメージがあるものを、シャイアの場合は特に病気がちで消えるように息を引き取った母親の姿がリリアンヌと重なり、それが、四歳年上であるにも関わらず「兄上が側にいられない時は私がお守りせねば」と思うまでの保護意識を起こさせるのだ。
「王太子殿下はあのように優れた方でいらっしゃいますから、私が歯痒くて仕方ないのだと思います。早くリリアンヌ様のような大人の女性になれるよう努力しますわ。」
そのため息まじりの言葉を聞いて、リリアンヌはにっこりと微笑んだ。そして少し小首を傾げ、エメラルドグリーンの目をいたずらっぽく閃かせる。
「ねえ、シャイア姫。ちょっと女同士のお話をしてもいい?」
「え、あ、はい、私でお話し相手になれることでしたら。」
シャイアは少し躊躇した。今まであまり意識して女同士の話などしたことがなかったので、一体なんだろう、と思ったのである。
「シャイア姫自身のことよ。シャイア姫は、アウラスのことをどう思っているの?」
「え、えっ?」
シャイアは文字通り、飛び上がるほど驚いた。しかしすっかり焦ってしまった様子の義妹には構わず、リリアンヌは優しく詰問を続ける。
「隠そうと思っても駄目よ。ゆうべ、アウラスと何かあったでしょう?」
「ど、どうして?どうしてですか、リリアンヌ様?!」
「もう"様"はつけなくていいわ。私達姉妹になったのよ。私もシャイア、と呼ぶから、あなたもリリアンヌ様、はやめて頂戴。いいこと?」
「で、ではなんとお呼びすれば…」
「リリアンヌかリリアか…お義姉様…せめて義姉上にして欲しいわ。」
「では…義姉上と…」
「では、シャイア、答えて。あなたはアウラスのことが好きなの?」
歯切れの良いリリアンヌの口調に、シャイアは押される一方である。この方は、こんなに元気のいい方だっただろうか…?
「それはあの、どういった意味の…」
「一人の男性としてよ、もちろん。シャイア、今まであなたにこんなことを教えた人はいないでしょう?男の殿下では無理だわ。…あなたがもし、アウラスを男性として好きなら構わないけれど、そうでないならあなたの態度は良くないわ。あれではアウラスが可哀想です。」
シャイアは昨夜のことを思い出し、少し目を伏せた。
―あの時もしリシャール様が現れなかったら、私はアウラスに抱きしめられていたと思う。私は何も抵抗しなかった。なんとなく、誰かに強く抱きしめられたいような気持ちだったから…。
―でもそれは、アウラスにそうされたかったのか、とよく考えてみたら、必ずしもそうではないような、というくらいの気持ちのような気がする。
―だけど…もしかしたら、アウラスは違うのではないだろうか。昨夜私を見つめていた時の彼の瞳は、怖いくらい熱を帯びていた。…だから今日は、なんとなくアウラスを避けてしまっている。彼の前であれほど無防備な姿をさらけ出して助けを求めておきながら、今日はもう必要ない、とばかりに彼を避けているのだ。
確かに私の態度はひどいと思う。
すっかり意気消沈してしまったシャイアの頭を、リリアンヌは優しく撫でた。
「シャイア、可愛いシャイア、責めているのではないのよ。ただ、もう知っておかなくてはいけないわ。あなたはとても魅力的で、人目を引かずにはいられないの。あなたの無意識な言葉や仕草が、ある人にとっては重大な意味をもつことがあるのよ。あなたが安心して甘える相手は、ダレン・ヴァウル殿下と、あなたが好きになる方だけにした方がいいわ。でないと間違いのもとになってしまうから。」
「義姉上…」
「ほら、その目よ。その目がいけません、シャイア。そんな風に見つめられたら、女の私でもドキドキするわ。」
「嘘です、そんな…。私なんて兄上の百分の一も綺麗ではないのに。」
「まあ、なんてことを言うの?…本当に自分のことがわかっていないのね、この子は!絶対に殿下のせいだわ。」
困りきった様子のシャイアに向かって、リリアンヌは人差し指をつきだしてみせた。
「いいこと?殿下の美しさとあなたの美しさは、全然別のものなの。それをまず、わからなくてはいけないわ。殿下は確かに他と比べる者のない美男子でいらっしゃるけれど、それだけではないでしょう?自信に満ちた威厳のあるご様子だとか、優美な物腰だとか、お優しいお心遣いだとか…」
そこまで言ってリリアンヌは愛する夫をいつまででも褒めちぎりそうな自分に気付き、少し顔を赤らめて一旦言葉を切った。シャイアは熱心な瞳で次の言葉を待っている。
「…とにかく、殿下の内面があるからこそ、より一層お美しくていらっしゃるわけでしょう?いくら外見が絶世の美男子であられても、内面が醜ければ決して殿下のように輝いては見えないわ。そして人の内面というものは、外見よりももっと一人一人異なるものだと私は思うの。殿下には殿下のお心があり、シャイアにはシャイアの心があるのよ。そうでしょう?」
「はい、義姉上。」
「だから、自分とお兄様をいちいち比べることはないのよ。あなたの良いところは、ひたむきで健気なところだと私は思うわ。それは、殿下にはなくて、シャイアにはあるものなの。
…私がこの王宮に来ることになって、シャイアは私が居心地良く暮らせるよう、色々と考えてくれたのでしょう?あなたが根回ししてくれなかったら、私は今ごろ嫉妬した女達にひどく苛められていたにちがいないわ。
シャイアが一生懸命庇ってくれているのがよくわかるのよ。そういうところが、あなたの本当に可愛らしいところ。それが表情とか態度に出るから、あなたは外見も可愛いけれど、もっと愛しい女の子になるの。
私を見る時のあなたの目には、『義姉上、困ったことはありませんか?何か私に出来ることはありますか?』と書いてあるわ。そんなあなたを嫌いになれる人なんているかしら?
でも、だから危険なのよ、シャイアは。男の人はきっと、拡大解釈してしまうわ。例えそうでないとしても、なんとかその瞳を自分だけに向けさせられないものか、と思うに決まっているわ。
あなたの瞳は一途すぎるの。それはある意味、罪なことよ。」
そう言いながらも、まっすぐに自分を見つめている義妹を、可愛くてたまらない、と思うリリアンヌである。
―仕方ないわね、そういう風に殿下がお育てになったのだから。でも、男性の断り方はちゃんと教えないなんて、殿下にしては片手落ちだこと。それとも、断られたことがないから、おわかりにならないのかしら?困った兄上ね…。
「義姉上、私はどうしたらいいのでしょう?…アウラスのことは好きですが、男性として好きなのかどうか、というのは…よくわかりません。昨日彼にも言ったのですが、私はいつかラウディニアのために嫁ぐ身ですから、できればそれまで恋愛はしたくないのです。本当に好きな人ができても、その人と結婚できる可能性はほとんどないではありませんか。」
「そうかしら?私の意見は違うわ、シャイア。」
「でも、父上や兄上に背いてまで、好きな方と結婚することは王女としてできませんから。」
遠慮がちな口調で、しかし自らの意志ははっきりと言うシャイアに、リリアンヌは優しく微笑みながら首を横に振ってみせた。
「私が言いたいのはそういう事ではないの。背く必要はない、と思うわ。」
「え?」