*初恋(9)*
「誰だろう?一体、いつからだ?」
ダレン・ヴァウルはここ数日のシャイアの様子を思い出してみた。
―昨日のパーティーで、バルコニーからアウラスとリシャールと一緒に出てきたが、何かあったとしたらあの時かもしれない。それなら、シャイアの想い人は、あの二人のうちのどちらかということか。
―まあ、それなら特に問題はない。もともと、婿がね候補のNo.1とNo.2だからな…。アウラスと一緒にさせて国内での強化をはかってもいいし、今アシリッドと縁戚を結ぶのも悪くはない。ベルニカとだけ関係が深くなって、アシリッドに不信を抱かせるのは良い事態ではない…。
この大事な時に、三国同盟の結束が破れるのだけは避けなければいけないのだから、リシャールの人間性に問題がないなら、味方でいてもらった方がいいに決まっている。時々奇矯な振る舞いに出るという噂だけが心配だが…。その点もシャイアが和ませてくれるなら、それが一番いい。あとはあの国の内情が今現在どうなっているのか…。密偵を増やす必要があるな。
もしシャイアと結婚させるなら、リシャールの立場を今よりも強くするよう、今のうちに働きかけねばなるまい。最近のクーデター未遂は、小さなものばかりとはいえ無視できない危うさがある。
来年のアシリッド独立記念祭には、誰を派遣するのが良いか、考えなければ―
ダレン・ヴァウルには、シャイアの想い人はおそらくアウラスではなくリシャールだろうと思われた。今まで「嫌い」と広言していたのも意識過剰の故だろうし、またシャイアがアウラスに惚れる、とはなんとなく思えなかったのだ。第一、惚れるならもうとっくに惚れているだろう、とダレン・ヴァウルは思う。
―父上も、シャイアにアシリッドへ行かせようとおっしゃるくらいだから、やはりリシャールを第一候補に考えていらっしゃるのだろう。とすれば、万一の場合、ジャクバール公爵には父上から話をつけてくださるはずだ。…アウラスへの埋め合わせは考えておこう―
ダレン・ヴァウルとしては、もしシャイアとアウラスを結婚させるなら、アウラスの王族への婿入り、という形ではなく、シャイアを公爵家へ降嫁させるつもりである。ラウディニア一の人気を誇るシャイアと富と力のあるジャクバール家の縁組で、しかも総領息子の王族入りとなると、リリアンヌのベルニカ王族が穏やかではいられなくなるからだ。双方に王子が生まれたら、ラウディニア国民の関心は、やはり感情としてアウラス・シャイアの子供に向けられるだろうし、出来の良い子供なら王太子に立てようとする動きも出てくるかもしれない。将来の内紛の種だとわかっていながら蒔くことなどできるわけがない。
それでもし、アウラスに「シャイアをジャクバール公夫人として降嫁させるか、それともディアナ王妃と繋がるベルニカの姫を娶って王族に名を連ねるか、どちらかを選べ。」というような究極の選択を迫ったらどう答えるのだろうか、とダレン・ヴァウルは思う。今の段階では単なる例え話ではあるが、もしそれが実現したら、ラウディニア王族ともベルニカ王族とも縁続きとなるわけで、ジャクバール家にとって決して悪い話ではないはずだ。アウラスは後者を選ぶのではないだろうか。そのようにダレン・ヴァウルは確信していた。そしてそういった印象、シャイアを「唯一絶対のラウディニア王女」として見ているらしいアウラス本人の印象こそが、シャイアがアウラスを「異性」として愛せない一番の理由なのではないかと思われる。
―しかし、まだシャイアがリシャールを好きになったと決まったわけではないからな。叔父上の言う通り、リシャールはよくわからない男だ。シャイアを妻に望んでいるとメロルに言ったらしいが、目的は何なのだろう。…もしシャイアの方がのぼせ上がるようなことになれば、それはそれでまずい。女の扱いに長けた男のようだし、免疫のないシャイアなど簡単に篭絡されてしまうかもしれない。縁組自体に問題はないが、こちらが優位に立つよう事を運ばなければ…リシャールの側室の問題もある。―
そのようにすっかり考え込んでしまっている兄を見ながら、シャイアは昨夜ほどつらい気持ちではない自分に気がついていた。「兄上はわかってくださっている。」と思うことほど、シャイアにとって安心できることは他になかったのである。もし万が一、遠い見知らぬ国へ嫁ぐことになったとしても、ダレン・ヴァウルが後ろにいるのなら何も恐れることはない。そんなことは以前からわかっていたはずなのに、とシャイアは自嘲する。
やはり私は、兄上がご結婚されたために、私を忘れてしまわれるのではないかと思っていたらしい。それで急に天蓋孤独の身になってしまったような気がして、必要以上に落ち込んでいたのだ。全く、我ながら情けない。結局は、皆が心配してくれた理由で淋しがっていただけではないか。でも、兄上が後押ししてくださったから、もう大丈夫だ。これ以上誰にも心配をかけないようにしよう。私はきっと、兄上にこんな風に言って欲しかったのだ。ご結婚されても私を好きでいてくださることを、兄上の口から聞いて確認したかったのだ。…兄上はそれがわかっていて、私に声をかけてくださったに違いない。
「兄上?」
「なんだ?シャイア。」
少し高い位置から見下ろすダレン・ヴァウルの眼差しは、たった一人の妹への愛情に満ちてとても優しかった。10歳で母を亡くして以来、多忙を極める父に代わって自分を育ててくれたのは、この兄だったのだと今改めてシャイアは思う。
「御心配をおかけしました。もう大丈夫です。私、喜んで大人になりますわ。どんな無理難題を言ってくださっても結構よ、なんだってやってみせますから。…だって、兄上も父上も大好きなんですもの。…だから、お二人だけでお苦しみにならないでくださいね。シャイアもお役に立ちたいの。」
「…シャイア。」
「…ですから、兄上はリリアンヌ様のお側にいてさしあげてください。私は、今の兄上のお言葉だけで充分です。お祝いの席なのに、浮かない顔をして本当にすみませんでした。私、兄上の妹でとても幸せよ。だから兄上も、リリアンヌ様とお幸せになってください。私も"それ相応の"方がもし見つかったらご報告しますわ。」
シャイアはそう言って、実の兄であるダレン・ヴァウルでさえ一瞬胸が熱くなるような微笑を見せた。先程までの暗い表情は見事に払拭され、代わりに大輪の薔薇が花開くような鮮やかさで艶然たる笑みが浮かび上がる。これは、とダレン・ヴァウルは絶句した。この妹はもしかすると、自分の想像以上に素晴らしい女性になるのかもしれない。あと二、三年後には、シャイアを巡って国がらみの大事件が起こりそうだ。結婚を急がせるべきだろうか?しかしこうなると、まだまだ手元に置いておきたい気もする。…ニコラウス叔父の言葉ではないが、兄というのもたいした存在ではないな…。大人になれ、と言いながら、実際に大人になりかけると、自分の後ろに隠してしまいたくなるのだから…。
「おお、元気そうになったではないか、シャイア。それにしても、ここの所毎日色っぽくなるな。どうだ?私と一緒にベルニカへ行かないか?アルフェス号に乗せてやるぞ。」
ダレン・ヴァウルとシャイアが話している所へ、ニコラウスがやって来た。今日は全身オレンジ色で、相変わらず異彩を放っている。
「…そんな、子供を攫うような言い方で誘わないでください、叔父上。海賊に売り飛ばされるのかと思ってしまいますわ。」
シャイアの間髪を入れない返答を聞いて、ニコラウスは楽しそうに笑い、いたずらっ子のような目を閃かせて姪の小さな顔を覗き込んだ。
「売り飛ばされると言えば、あのマカラの後宮には、実際攫われて売り飛ばされた貴族や王族の娘もいるらしいぞ。シャイアも気をつけろ。まあ、お前の場合はちゃんと私が助けに行ってやるから、いざそうなっても心配するな。」
「…それはどうも、ありがとうございます。」
「何、礼には及ばん。手数料はたっぷりとラウディニアからふんだくってやるからな。」
「それでは、海賊と同じではありませんか!」
「どっちみち海軍も海賊も、そう変わらんから大丈夫だ。」
涼しい顔でニコラウスは嘯き、ちらっとダレン・ヴァウルの方を見た。