*初恋(8)*
連日の儀式や舞踏会の疲れを考慮してか、9日目は夜まで何も正式な行事はなかった。しかし、これだけ近隣諸国から大勢の人数が集まっていれば、それなりに何か集まりがあるのは当然のことであろう。
王城の白亜宮・迎賓のためのホールがいくつもある城内で一番大きな建物の中では、午後を過ぎてからというゆっくりとした時間帯であったにせよ、貴族の子弟達や各国の招待客達をもてなすために、ちょっとした午餐会のようなものが開かれていた。ここにシャイアはもてなし役として、ほとんど出ずっぱりの状態である。話しても話しても果てしがない、波のような人々との会話に、さすがに少し疲労を感じているかのような色が、その素直な顔の中に見え隠れし始めた。
ダレン・ヴァウルはその日、特に注意してそんなシャイアを見ていた。メロルとアウラスの両方から、『シャイア姫は元気をなくしている』という報告を受けていたため、少し気になったのである。
しかしさすがに実の兄だけあって、ダレン・ヴァウルにはシャイアの気持ちがもっと以前からわかっていた。
シャイアは今、子供から大人になろうとする時期なのだ。
子供の頃信じて疑わなかった世界、自分を中心に回っていた人間関係、そのようなものが音をたてて崩れ始めたことに、戸惑い、脅えている。
今までは一方向からしか見えなかったものが、急に色々な角度で目の前に迫ってくる―その重圧に、今彼女は果敢に立ち向かおうとしている。それらのものから目を閉じて大人になるのを拒否することは、実は非常にた易く、その障壁を越えられないまま肉体だけは大人になってしまった人々を、ダレン・ヴァウルは幾人も知っていた。しかし彼の妹であり、ラウディニア王女であるシャイアに、その様な大人になってもらうわけにはいかなかったし、またシャイアには、それがどんなに高い壁であっても越えられるだけの力量があることを彼は知っていた。
だからこそダレン・ヴァウルは時に苛酷な程シャイアに厳しく接し、時に過剰と思われる程の愛情をシャイアに注いだのだ。
そしてシャイアはそんな彼の気持ちに見事に応え、今正に花開こうとしている。
「…アウラスめ、一体いままでシャイアの何を見ていたのだ?そんな事もわからなかったのか?もっと懐の深い男かと思っていたが。」
シャイアは昔から、感受性の鋭い利発な少女だった。自分を取り囲む環境が最近急激に変化していることに気付かないはずはない。
他国にとって"将来妃に迎えたい姫君"から"今すぐにでも欲しい姫君"へとシャイアは急変しているのだ。しかも、今までは皆、どちらかといえばダレン・ヴァウルの妃として自分の国の姫を迎えさせることにやっきになっていたので、シャイアの存在は常に二番手であった。
それが今や、シャイアこそが"縁組を実らせたい候補No.1の人物"になったのであるから、その無遠慮な値踏みの視線に耐えるだけでもまだ幼いシャイアには至難の業であろう。もともと、基本的には晴れがましい場所が苦手な女の子なのだ。人々の好奇心剥き出しの眼差しは相当辛いはずである。
それがわかっていながら父カザル二世は、式典には全て出席すること、姫らしくふるまうことの二点をシャイアに約束させた。
この真意は、人々の好奇の視線に身を晒し、しかも男達に魅力を感じさせる女性―有体に言ってしまえば、先方から申し込まれて当然という程の、最初から優位に立てる女性になれ、ということである。
シャイアはその意味をおそらく正確に理解しているのであろう。だからその重荷がつらくてあれほど打ち沈んでいるのだ。
しかし頭でわかってはいても、自分がどのように男達の目に映るのか、ということは実感できないらしい、と思いダレン・ヴァウルは苦笑する。
まだあどけないシャイアが、身の置き所がない様子で困ったように立ちつくしているのは、それがあまりにも無防備な姿でありすぎて、男達の目を引かずにはいられなかったのである。今の自分の身の処し方こそが、そのままでカザル二世の真意に適っている、などということはおそらくシャイアには理解できていないだろう、と思われた。
現に昨日一日だけでもシャイアに舞い込んだ縁談話は、可能不可能は別としても有に二十件を越し、シャイアの侍女達は歓声をあげたものである。その中には、「叶わぬ恋とは知りながら、もう姫以外の女性は目に入らなくなってしまいました。」といったような内容のものもあり、兄ダレン・ヴァウルとしては、それはそれで心配の種になる。下手をすると間違いが起こりかねないのだ。
少し釘を刺した方がいいだろう、と判断したダレン・ヴァウルは、疲れを健気に押し隠している様子のシャイアに、優しく声をかけることにした。
「シャイア。疲れているのではないか?明後日からはまたセイリーンに乗っても良いからな。もう少しの辛抱だぞ。」
シャイアは最愛の兄に向かって、輝くような微笑を投げかけた。周りの男達が嫉妬を感じるほど、それは可愛らしい笑顔であった。
「兄上!私がセイリーンのことを考えているのが、どうしておわかりになりましたの?兄上にはなにも隠せないわ。」
「お前の考えていることくらいわからなくてどうする?…少なくとも、男のことを考えているのでないことだけは確かだしな。」
シャイアはその言葉を聞いて、兄に向かって軽く小首を傾げてみせる。
「まあ。私に恋愛を禁じられた方のお言葉とは思えませんわ。」
「人聞きのわるいことを言うな。誰が禁じると言った?私はただ、それ相応の男でなければならないと思っているだけだ。」
「それ相応の?」
「とりあえず、私の目を盗んでお前を口説こうとするような男だけは絶対に許さん。」
この言葉を聞いて、周りの温度が少し下がったような気がしたのはアウラスだけではないだろう。 押さえた声音ではあったが、殺気すら帯びかねないほどの鋭さがその中には含まれていたのである。
列席者で、ダレン・ヴァウルの怒りの激しさを知らぬ男はおそらく一人としていない。 戦場で命令違反をした兵士の処置は激烈を極め、中でも略奪と婦女暴行の罪はその場で王太子自らの剣により斬首、とラウディニア軍規にあることは有名である。
その潔癖さでもって裁かれるのであれば、"黄金の鷹"の妹姫に言い寄るのは正に命がけの行為となる。しかしそれだけの価値がシャイアに、ラウディニアにあることもまた確かであったので、求婚者達は新たな決意を固めた。シャイアが欲しければまずダレン・ヴァウルに認められなければならない。姑息な手段は通用しないというわけだ。
「兄上の目を盗んで?そんなことをする方がいるかしら?第一、そんなことで私がその方を好きになることはあり得ませんし、父上や兄上にも反感を買うだけですわ。…いくら縁戚を結ぶためとはいえ、そんなに頭の悪いやり方をなさる方はいらっしゃらないでしょう。」
と、更にシャイアがにこやかにとどめをさす。こちらは本気で言っているのだから尚始末が悪い。なんとかしてシャイアの部屋に忍び込めないものだろうか、などと不埒なことを考えていた者達は、密かにがっくりとうなだれる。
「お前が思っているほど、皆が皆頭が良いわけではないからな。だから、お前も身の回りには気をつけて、隙を見せないようにしてくれ。」
心配でたまらない様子の兄に、妹はにこやかに反抗してみせる。シャイアはシャイアで、周りの女達の視線が痛いのだ。美しい兄に甘えてばかりもいられなかった。
「…もう、兄上ったら。心配してくださるのは嬉しいですけれど、それではシャイアはお嫁にいけないまま年をとって、誰からも振り向かれないお婆さんになってしまいます!ご自分ばかりお幸せになって、ずるいわ。」
「お前はそうやってすぐ話を飛躍させる。誰も嫁にやらぬとは言っていないだろう?…しかし、シャイアにしては珍しいことを言うな。誰か好きな男でもできたか?」
「兄上までそんなことを!」
「お前が、嫁にいけないまま年をとるのは嫌だ、と言うからだろうが。今までは『セイリーンがいれば結婚なんてしなくてもいい。』と言っていたくせに。…まあいい、ただ私が言いたいのは、私だってお前には幸せになって欲しいと思っている、ということだ。何を思い悩んでいるのか知らないが、兄をあまり悪者にしないでくれ。お前につらい思いはさせないから、そんなに心配するな。…私が、ついているのだぞ、シャイア。見くびるなよ。」
「…はい。兄上。」
シャイアが素直にうなずくと、ダレン・ヴァウルはその小さな頭を優しく撫でた。そして妹の顔を見ながら、先程の表情を思い出す。
「好きな男がいるのか?」と聞いた時、一瞬ではあったがシャイアは頬を薔薇色に染めたのである。妹のそんな表情を初めて見た兄は、シャイアに好きな男が、少なくとも好きになりそうな男がいることを確信した。