*初恋(6)*
―彼女がもともとそういう性格であることはわかっていたはずだ。
しかも、硬派なことで有名なラウディニア王族の姫君で、あのダレン・ヴァウルに教育されて成長してきたのだから、こんな風に思考する王女になったのは当然のことなのだ。今更なにも驚くことはない。
だいたい、何を心配することがある?自分が父の後を継いでジャクバール公爵となれば、諸国との外交を手中に収めることも不可能ではない。こうるさいウォン・ハイやマカラを黙らせて、シャイア姫を我がものにし、あわよくば子供を王位につかせる。それはもともと自分が実現させようとしてきた道のりではないか。もっと勢力を伸ばして、シャイア姫にこんな心配をさせないよう、ラウディニアを今よりも強大な国にすればよいのだ。
―それにしても、こんなに可憐な姿をして、よくそこまでご決心なさったものよ。男達が戦場に出ている間、この方はそんなにも心を痛めていらっしゃったのだ。やはりシャイア姫は、得がたい御方だ。他の男に奪われるわけにはいかない。何があっても、私のものにしてみせる…。
少し長い沈黙の後、アウラスはシャイアを安心させるために、まずは優しい微笑みをその秀麗な顔に浮かべた。シャイアは今も思いつめた表情のままだが、その緊張の糸を解きほぐすかのように、アウラスは穏やかな口調で言葉を重ねる。
「シャイア姫、本当にどうか御心配なさらないでください。そのお気持ちは非常に尊いものですが、私達も必死に外交を行なっているのですから、ご安心ください。もちろん、戦はなるべく起こさない方向で皆知恵を絞っているのですよ。その淋しそうなお顔はおやめになって、どうかいつものように笑っていてください。姫が微笑んでいらっしゃると、皆安心するのですから。戦から帰って、姫の顔を見るとラウディニアに戻ったという実感がわく、と兵士どもも申しております。ですから遠くへ行ってしまうなどとお考えにならないでください。そんなことになったら兵達がどれほど淋しがるかわかりませんから。」
そう言ってアウラスはシャイアの頬をそっと指でなぞった。シャイアはにっこりと微笑んでみせる。
「ありがとう。やっぱりアウラスは優しいわ。でも…そうね、アウラスの言う通りかもしれない。私が先走って考えてはいけないのよね。優秀なラウディニアの重臣達がもっとずっと考えてくれているのに…。最近色々なことがあったものだから、私焦ってしまっていたみたい。アウラス、いつも心配かけてごめんなさい。」
シャイアはアウラスに微笑みかけながら、内心ふうっ、と息をついた。つい甘えてしまったが、今現在外務大臣であるジャクバール公爵の、長男であるアウラスにする話ではなかったかもしれない、と思い返したのである。公爵に対する非難のように聞こえなかっただろうか、とシャイアは少し心配になった。
「ただ、いざという時どうなっても大丈夫なように、自分に言い聞かせているだけなの。何もわかっていないのに、生意気を言ってごめんなさい。気を悪くしないでね、アウラス。」
「何故私が気を悪くするのです?シャイア姫こそ、私にその様な気をお使いにならなくてよいのですよ。…私は、王族にお仕えする身分なのですから。臣下に対してそのようなお心遣いは無用です。」
アウラスは思わず、「臣下」と言う時に鋭く吐き捨てるような言い方をしてしまい、それを敏感なシャイアは聞き逃さなかった。
アウラスの口調と目の色に、何かただならぬ苦さを感じてシャイアは驚いた。そしてその澄んだ菫色の目で、まっすぐにアウラスを見つめる。
「アウラスは、アウラスよ。私あなたを臣下だと思って接したことなんかないわ。どうして今更そんなことを言うの?…何かあったの、アウラス?」
それは、シャイアの正直な気持ちだった。彼女にとって兄のダレン・ヴァウルとアウラスはほぼ同位置にあり、常に自分より上の存在だったのだ。そのアウラスに突然そんなことを言われ、シャイアは動揺した。すがるような瞳でじっとアウラスを見続ける。
「私何か、あなたを蔑むような言い方をしたかしら…?
もしそう聞こえたなら謝るわ。でも、本当にそんな風に思ったことはないのよ。
…それはあの、アウラスの言うことを聞かなかったりはしたけれども、決してあなたが臣下だから、という理由ではないわ。ただ私の子供っぽい我侭なの。
…本当に、私はなんて子供なのかしら。最近そう思うことばかりあるわ。不用意にしたり、言ったりすることが多すぎるのね。きっと知らない間に相手を傷つけるようなことをしたり言ったりしていると思うの。だから、『王女だから仕方ない』なんて思わずに、そういう時は指摘してほしいの。
…さっき言ったことも、ジャクバール公爵に対して不信感があるように聞こえたかしらと思って…。だから…。」
話しているうちに様々なことが頭に浮かび、シャイアは何と言っていいかわからなくなってしまった。
ダレン・ヴァウルやリリアンヌの気持ちも考えず儀式を抜け出したこと、
リシャール王太子に対する自分の態度、
何故かはわからないが今急に心の傷口を見せたアウラス。
やはり、自分は何か根本的な部分で問題があるのだろうか。皆を傷つけてしまうのだろうか。
今まで私はなんて自分勝手に暮らしていたのだろう。『王女だから』皆我慢してつきあってくれていたのかもしれない。
『子供だから』許されていたのだ。
でももう、子供ではいられない。もう兄上がご結婚なさったのだから。
そうしたら大人になると決めたのは自分なのだから。
今にも泣き出しそうな顔で絶句してしまったシャイアを見て、アウラスは本気で心配になった。同時に、シャイアに対して自分の歪んだ部分を一瞬吐露してしまったことに、激しく後悔の念を感じる。
「シャイア姫!一体どうなさったのですか?
何かあったのかと聞くのは私の方ですよ。姫が私を蔑まれたことなどもちろんありません。父に不信をお感じだとも全く思っていません。
申し訳ありません、そんな風に言ったつもりではないのです。本当に、そんなつもりはありませんでした。姫に傷つけられたと思う者など、どこにもいませんよ。皆姫を慕う者ばかりではありませんか。何を心配していらっしゃるのです?
…私の先程の言い方なら、お気になさらないでください。あれは私自身の問題で、姫はなにも悪くないのですから。
それにしても、本当に一体どうなさったのです?誰かに何か言われたのですか?」
すっかり情緒不安定な様子のシャイアを思わず抱きしめてしまいそうになるアウラスだったが、かろうじて頭をそっと撫でるだけのところで踏み止まった。
どうして気がつかなかったのだろう、とアウラスは思う。
鷹狩を抜け出したのも、きっと何かわけがあるのだ。王太子が結婚すれば次は自分の番だと思い、一体どこに嫁がされるのか、自分の将来はどうなるのかと、ずいぶん思い悩んでいたのだろう。
案の定、式典やらパーティーやらの間中「今度はシャイア姫の結婚だ」と言われ続け、すっかり神経が参ってしまったに違いない。…確かに、マカラに嫁がされる可能性まで考えていたのでは、気が変になってしまいそうなのも無理はない。私がちょっと普段と違うものの言い方をしただけで崩れてしまうくらい、神経が脆くなっていたのだ。
可哀想なことをしてしまった。まだたった15歳の少女なのに。
「シャイア姫、お願いですからまだ少しは、今までのように私にも甘えてください。急に大人になってしまわれては淋しいではありませんか。それに一人でお悩みになるなど水臭いですね。御心配なさらなくとも王太子殿下と違って私はまだ独身ですから、遠慮なくお声をかけてください。相談して他人の意見を聞くのが大人というものですよ。」
「アウラス…。」
アウラスはわざと少しおどけた口調で、張り巡らされた緊張の呪縛からシャイアを解放した。
シャイアの表情がやっと柔らかくなり、いつものような光がその瞳に戻る。
「ありがとう。」
「いいえ、自分のためですから、礼などおっしゃらないでください。
私は、元気の良いシャイア姫が好きなのですよ。まるで小さな太陽のようですからね。私のためにも、どうか笑っていてください。何かあったらご相談ください。そのためにお側にいるのですよ、私は。わかっていらっしゃるのですか?」
アウラスの目に熱い光があることに、シャイアは今初めて気がついた。
そしてうっすらと頬を染めて目を伏せたシャイアを見て、アウラスはおや、という顔をする。
もう十年近く側にいることになるのだが、シャイアがそんな反応を示すのは初めてである。
もしかすると、とアウラスは思う。
今シャイア姫を抱き寄せたら、姫は拒まないかもしれない。精神的に脆くなっている時につけいるようではあるが、これだけ待ったのだからそれも許されるのではないか。
アウラスはシャイアの細い肩に両手を伸ばした。磨き上げた象牙のように白い首筋に軽く指が触れ、シャイアは俯いたままびくっと身を震わせる。しかし、嫌がる様子はなかったので、アウラスはそのままシャイアを胸にひきよせようとした。
シャイアの髪から、微かな花の香りが漂う。
その時、アウラスの後ろで緩やかに闇が動いた。
「リシャール様?」