*聖婚の儀(1)*
目を刺すほどの鮮やかな緑の草原に、二騎の人馬が長い直線を描いている。馬たちがリズミカルに大地を蹴る度に、冬とは異なる甘やかな草いきれが辺りに漂っていたが、風に向かって矢のように走る馬上の人物に、その匂いは届いていないかもしれなった。それ程に速く彼等が駆け抜けてきた方向からは、軽やかな太鼓の音が微かに響いている。
どちらの乗り手もまだ大人にはなりきっていないような、さりとてごく幼い子供でもないような、中途半端な年齢独特の若々しいシルエットを草の上に落としてはいるが、その乗馬の巧みさは大の大人でも舌を巻くほどの技量を擁していた。二人はおそらく主従であるのだろう、後ろの赤毛の乗り手が懸命に追いつこうとしている人物は、最高位の身分の者だけが持ち得る、ある種の風格を身にまとっていた。一見、美しい少年にも見えるそのあるじは、よく見るとどうやら少女であるらしい。蜂蜜色の長い髪からのぞく白い顔は今うっすらと薔薇色に上気しており、その柔らかい輪郭は少年にしてはあまりにも線が優しすぎるようである。少女はしばらくの間、馬を駆けさせながら耳を澄ますような仕草をしていたが、ふいに片側の頬を緩めると、馬上からすぐ後ろの少年に声をかけた。
「見ろ、メロル。私の言った通りだろう?王家の狩場から離れることなど造作ない。誰にも見咎められたりなど、しなかったではないか。」
その、少女の口から漏れるにしてはいささか活発すぎる言葉を聞いて、この国で一番の駿馬に追いつこうと必死に自分の馬に鞭をくれていた少年・メロルは、いささか憮然とした面持ちで少し前を行くすらりとした後姿にむかって応える。
「それは…。まさか、姫様がこのまま鷹狩をすっぽかしてしまわれるおつもりだなどと、誰も思わないからですよ!こんな大事な時に、姫様がご参加されないなんて…。後でアウラス様に、死ぬほど怒られますよ、私は!」
「だから、それが嫌なら戻れと、最初から言っているではないか。私はお前に着いて来いなどと、一言も言ったおぼえはないぞ。」
「お一人でいらっしゃったりしたら、お付きの私は余計に怒られます!まったく、いつもおからかいになるんだから…。私がアウラス様に怒られるのを楽しんでいらっしゃるのでしょう。もう、結構です。どうせ私は怒られる運命なんですから…。どこにでも、お供致します!」
姫様、と呼ばれた蜂蜜色の髪の少女・シャイアは、自分より一つ年上の側近がふくれっ面をしているのを見て、高らかに笑った。
「別に、メロルが怒られるのを喜んでいる訳ではない。私だって、アウラスは恐いのだからな!私を怒鳴りつけて怒るのは、アウラスと、兄上だけだ。」
そう言ってシャイアは、急に遠い目になった。この、ラウディニア王国の第一王女であるシャイアは、兄の王太子、ダレン・ヴァウル王子の"聖婚の儀"最終日最後の儀式である"鷹狩"を途中で抜け出してきているのだった。
面積はさほど広くはないが、ラウディニア王国は土地に恵まれた豊かな国である。世継ぎの王太子の"聖婚の儀"がその国力に見合う盛大なものでなくては、近隣諸国への示しがつかない、と重臣達が協議の上決定を下したのは当然のことであろう。
故に、儀式は七日七晩の間続くこととなった。最初の三日間は国の神・ラウ神をまつる神殿で荘厳に執り行われ、四日目は王族を主に、五日目は選ばれた貴族を交え、六日目は更に広い範囲で貴族階級が招待されて、城内において華々しいパーティが繰り広げられた。そして最終日は、"鷹狩の儀"。これは"聖婚の儀"の中でも最も歴史が古い儀式で、この国の建国神話に基づくものである。「ラウ神がその使いである神鳥・鷹に、 "人が住むにふさわしい場所を示せ。"と仰せになり、長い旅の果てに鷹が見つけたのがここ、ラウディニアである。」という筋の歌物語の通りに、まず王が鷹を放ち、それを王太子が追って、鷹が羽を休めた場所を基点として大掛かりな鷹狩が始まる。定められた分だけ獲物が集まるとそれは王太子妃となる姫君からラウ神に捧げられ、そこで初めて、結婚が神から承諾されたことになり、二人は晴れて夫婦となれるのだ。
そして明日からは、城の大門が開け放たれ、一般市民にも祝い酒がふるまわれ、美々しく着飾った貴族達や近衛兵を伴ったパレードが町中を巡って、今度は「儀式」ではない、幾分くだけたパーティが二日間続く予定となっている。そして十日目の朝には王族・貴族・庶民を問わず国中の民が感謝の祈りを捧げて、その後ようやく新郎新婦は、二人だけの時間を過ごすことができるようになるはずであった。それまではかなりのハードスケジュールであるが、新婦の姫君には充分な配慮がなされるし、王太子はもともと"ラウディニアの黄金の鷹"と呼ばれる戦士であるので、現在のところ新郎新婦は終始幸せそうに微笑んでおり、二人とも疲れた様子はまったくみられなかった。
「姫様…お淋しくていらっしゃるのですか?」
表情のなくなったシャイアに向かって、メロルは優しく声をかけた。王宮の内外で、仲の良い兄妹である王子王女の片方が結婚することになり、残りの片方はさぞお淋しいだろう、ともっぱらの噂になっている。ダレン・ヴァウルとシャイアはちょうど10歳の年齢の開きがあったが、ダレン・ヴァウルは厳しいながらも面倒見の良い性格であり、またシャイアも少々元気がありすぎるものの素直で聞き分けの良い少女であったため、本人同士仲が良いのはもちろんのこと、周囲から見ても非常に微笑ましい、可愛い兄妹として、幼い頃から国中の評判の的だったのである。